連載:第23回 リーダーが紡ぐ組織力
「終わった」と思った地方中小がV字再建。劣等感を払拭できない社長の、人を活かす組織づくり
「自分の人を見る目は当てになるのか?」はじめての管理職採用は現場の混乱に繋がり失敗した…と語るのは愛知県西尾市の印刷会社「ヒロセスクリーン」の廣瀬将人社長。そこでチャレンジしたのが、現場のパートさんにリーダーを担ってもらうこと。それにより売上は3倍、従業員は40人超にまで成長しました。一方で、これまでの体験から「自分はたいしたことない」「負け犬根性が染みついている」といった思いを根底に抱え、また新工場が火災に遭った際には「終わった…」と絶望。「自分はたまたま経営者のポジションにいるだけ」としながら、その責務を果たそうと奔走する過程を伺いました。
ヒロセスクリーン株式会社
代表取締役 廣瀬 将人 さん
1977年生まれ。2003年、家業であるヒロセスクリーンに入社。2022年、2代目として代表取締役に就任。
何をやっても平均以下。「自分がやれることなんて知れている」「負け犬根性」が根っこにあった。
――事業概要、家業に入られた経緯を教えてください。
廣瀬将人さん(以下、廣瀬): 当社は1986年に父が創業した印刷会社です。父は根っからの職人で、経営や組織運営の知識はあまりありませんでした。会社を手伝う母と「注文をいただいたらひたすら汗を流して期待に応えよう」「とにかく目の前の仕事を一生懸命やろう」という感じの会社でした。両親はいつも遅くまで働いていましたね。
そのような会社に2003年、1年しか社会人経験のない、何もわからない私が入社しました。私は両親と同じように、目の前のことを一生懸命やりました。その甲斐あってか、事業は少しずつ成長していきました。
そして2008年、念願の新工場を建設。正直、だいぶ無理をしました。以前の工場は民家を改装したような建屋で業務効率も悪く、見た目も良くなかったので。新工場は、当社としては念願でした。
新工場の建設後、新しい仕事も増えていきました。それに伴って、主に女性のパートさんを10名ほどまで増員しました。
しかしここから、当社は2つの大きな問題と向き合うことになります。
――2つの問題とは?
廣瀬: 1つは「工場火災」、もう1つは「組織化」です。
まず、工場火災は2015年に起きました。機械も使えなくなり、何も生産できなくなってしまいました。仮工場で事業を再開したのですが、取引先、銀行など多くの方に助けていただきました。特に、多くの従業員が残ってくれたことは心の支えになりました。
今だからお話しできることでもありますが、 正直、再建できるとは思っていませんでした。会社、終わった…と。
――そう思われた理由は何かあるのでしょうか?
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