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連載:第84回 組織作り その要諦

「社長を辞めさせたい」社員の言葉で目覚めたリーダー。驕りが招いた大量離職で気づいた組織改革の要

BizHint 編集部 2024年10月29日(火)掲載
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「社長を辞めさせたい」――社員からの衝撃的な言葉が、ある経営者の運命を大きく変えることになりました。東京都墨田区に本社を置く、大正13年創業の老舗帽子メーカー 水野ミリナー株式会社。2014年、それまで一族経営だった同社において、全く血縁関係のない五十嵐敬太郎さんが4代目社長に就任しました。「日本一の帽子屋を目指す」と方針転換した五十嵐さんは社員の強い反発を招き、危うく社長の座から降ろされそうになります。さらに就任1年目で社員の4分の1が離職。売上は上げられていたものの、借入が多い状態という危機に直面します。しかし、現在は離職率30%から7%へと劇的に改善。営業利益はコロナ前の約2.5倍にまで成長しています。五十嵐さんは、いかにしてかつての窮地を脱したのでしょうか。その組織改革の軌跡に迫ります。

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水野ミリナー株式会社
代表取締役社長 五十嵐 敬太郎 さん

1978年生まれ。20歳で札幌営業所に入社。その後、同業所の売上を約3倍に伸ばす。25歳で東京本社へ転勤し、その後10年間は営業部・商品部・通信販売事業部などの業務を経験。2014年3月、36歳で4代目社長に就任


血縁のない4代目社長、就任半年で「辞めさせたい」の声

――現在は売上、営業利益ともに業績を伸ばしている御社ですが、一時は社員からの反発や離職が相次ぐなど、危機的状況に陥っていたようですね。当時の状況を教えていただけますか?

五十嵐 敬太郎さん(以下、五十嵐): 私が社長に就任したのは2014年、36歳のときです。当時は「日本一の帽子屋を目指す」と意気込んでいましたが、なかなか組織がついてきませんでした。私は創業家とは血縁関係のない4代目社長として就任したのですが、そのことも大きな要因だったかもしれません。

20歳で札幌営業所に入社し、営業所の売上を約3倍に伸ばすなどかなり営業に力を入れていたんです。その頃、前社長の水野さんと度々お話しする機会があり、「ゆくゆくはこんな事業をしたい」と将来の展望について意見を交わしたことがありました。すると25歳のときに「将来は会社を譲る」という前提で、東京本社への転勤を命じられたんです。

その後前社長が、急遽ご家庭のご事情で2014年に退任。すぐに私が社長に就くことになったんです。

就任から半年ほど経ったある日、衝撃的な話が耳に飛び込んできました。それは、当社のベテラン社員数名が取引先の社長に対し、 「五十嵐社長を辞めさせたいから、自分たちの会社を買ってほしい」と水面下で打診していた 、という話でした。心配した取引先の社長が知らせてくれたのですが、まるでハンマーで頭を殴られたようなショックを受けました。

ですが今振り返ると、 私を辞めさせようとしたベテラン社員たちの存在があるからこそ、今の当社があるといえます。

――それはなぜですか?

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