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連載:第8回 成長企業 社長が考えていること

社員数は15年で10倍。新潟・柏崎No.1の成長で雇用を生み続ける部品メーカー

BizHint 編集部 2019年10月26日(土)掲載
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新潟県柏崎市に、15年で社員数を約10倍に増やし、右肩上がりに売上を伸ばす会社があります。それが、1963年の創業以来、同市で金属部品加工を手がける、株式会社テック長沢。特に削り加工を得意とし、自動車部品からリチウムイオン電池関連部品まで幅広い部品を製造しています。最新設備への投資と職人の育成に注力して取引先の信頼を獲得し、着実に受注を増やしてきました。 部品メーカーという宣伝要素の低さ、さらに地方都市のデメリットである人材不足をはねのけ、毎年新卒採用を実施している同社。なぜ、15年で社員数を10倍に増やしたのか、増やせるほどの仕事をどのように獲得したのか。2011年からテック長沢を率いる長澤智信社長に、そのプロセスと人材採用に込める想いについて伺いました。

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【プロフィール】
株式会社テック長沢
代表取締役社長 長澤 智信 さん

1978年生まれ柏崎市出身、新潟大学法学部卒。家業のテック長沢を継ぐ傍ら、老舗味噌醤油蔵元の再建、地域創生を主な事業とする株式会社AKKプラスの立ち上げ、自らのアイデアを形にした自社商品「電動ネジゲージ」のメーカー株式会社ネジテックを創業するなど、数々の事業を手がける。日系企業が撤退し始めた2014年に敢えて中国へ進出。「あまのじゃく」をモットーに、地域の雇用創出に全力を注いでいる。

「いい働き口がないから」を払拭するために。地元への最大の貢献は、雇用。

――積極的に若手人材を採用されている理由についてお聞かせください。

長澤智信さん(以下、長澤): 地方ならではの理由かもしれませんが、まずは仕事量に対する慢性的な人材不足を解消するためです。設備投資を積極的に進める一方、部品加工には職人の技術が求められる場面がたくさんあります。職人の高齢化は黙っていても進むので、早めに多めに採用して後継者を育てたいという思いがあり、採用には積極的に取り組んできました。現在、全社員174名(パート含む・役員除く)のうち2、30代が約6割と若返りが進んでいますが、3割強の女性、24名の外国籍社員と海外実習生、6名の障がい者といった多様な人材の力を借りることで業績を伸ばしてきました。

――採用に成功している要因はなんだと思われますか?

(長澤): 特別なことではありませんが、 社長本人が就活生と出会える場所に出向くことかと思います。「人財が大切」と公言する社長がその最前線にいないなんておかしい。 就職イベントのブースでも「うちは社長が話します! 一度聞いてみませんか?」と声をかけます(笑)。直接対峙することで、経営者の思いに共感して興味を抱く人が10人中1人はいるという感触がありますね。2019年度も高卒3名、大卒5名を採用できました。

2019年度の新入社員。高卒3名(左・前列)、大卒5名(右・前列)。

――若手人材を採用できる会社になりたい、と思われたきっかけを教えてください。

(長澤): 私が入社した2003年に高卒者1名の募集をかけたところ、地元から5名も応募してくれたんです。全員採りたかったのですが、当時の会社は全員で17名。悔しかった。採用できなかった4人が柏崎の外に働きに出たら、おそらくもう地元には戻ってこない。柏崎は工場が多い街なのですが、ここで子育てをする親たちも「進学や就職は他ですればいいよ」と言ってしまう。「いい働き口がないから」と、私の同級生もほとんど関東から戻ってこない。 生まれ育った地元に貢献したいなら、当社がまず雇用を生み出せるほどの規模になり、さらに就職したい会社にならなければと思いました。 その一心でそれまで力を入れていなかった営業に注力し、ゆるやかでしたが売上は伸びて2008年には30名数名の会社になりました。

リーマンショックで仕事が9割減も、トップ自ら「会いに行く」ことで優秀な人材獲得につながる

――2012年からの急速な社員数の伸びは、どのようなところに要因がありましたか?

(長澤): 逆説的ですが、リーマンショックが大きな転機になりました。あの危機を乗り切る過程で大手企業とのご縁が深まり、優秀な人材と数多く出会えたからです。 リーマンショックの打撃は想像以上で、2009年1月の仕事量は前年比90%減。月初に1、2日工場を動かせば納品できてしまい、社員はショックを受けたと思います。仕事がないことでのモチベーション低下を食い止めるには何をしたらいいか必死で考え、 「雇用調整助成金」という雇用を維持するための助成金を見つけたんです。教育訓練をすれば加算金もつくことがわかり、社員向けの勉強会を毎日のように開きました。

時間はたっぷりあったので、いつも以上に営業もしました。平常時には無駄足に終わっていた大手企業への提案も不思議なほど通りました。あの時は大手も仕事がなかったからだといえば簡単ですが、 あの時に必死で提案をしていなければ、単なる下請け企業で止まっていたと思います。一緒にものづくりをするパートナーとして認識してもらえるようになったことは大きかったです。

もうひとつ、新卒採用の話題でも出ましたが、 トップの仕事は人に会いにいくこと です。リーマンショックは、優秀な人でも給料が下がったりクビになったり、そうでなくても自分の働き方、生き方を問い直すタイミングでした。私も時間があったので(苦笑)全国の営業先で出会った人、監査に来た人、一度でも関わりのあった人に会いに行って未来を語り合いました。自分で言うのは気恥ずかしいですが「テック長沢で働くと楽しそうだ」「長澤さんとなら働いてもいい」と、全国から単身赴任までして優秀な人材が集まってくれました。 地方都市のデメリットは、高度な経験を積んだ人材の不足にあります。リーマンショック後に入社を決めてくれた優秀な人材が若手の力を伸ばしてくれているのを見て、外部の英知を取り入れる重要性を感じています。 当時、動かない工場を目の当たりにした社員の頑張りもあり、結果的にリーマンショックの影響は後を引かず、新卒を毎年採用できるくらいの売上アップにつながりました。

優秀な社員に業務が集中し、疲弊。社員が幸せに働ける会社になるために、成長をいったん止める勇気

――社員数が増加する一方、売上の伸びが一度止まっていますね。

(長澤): 2014年から3年ほど足踏み状態ですね。リーマンショック以降、ありがたいことに案件・業務量は増えていきましたが、それにうまく対応できなくなった時期です。毎日の残業が当たり前になり、仕事ができる人に業務が集中し、優秀な社員から疲弊して離職していきました。申し訳なかったですし、つらかったです。

――その時、どんなことをされましたか?

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