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連載:第6回 プロ・リクルーター、河合聡一郎さんが聞く【事業承継のカギ】

火の車状態から年商50億まで成長、さらに100億稼ぐ飲食チェーンになるために社長が考えていること【玉寿司・中野里社長】

BizHint 編集部 2019年4月17日(水)掲載
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プロ・リクルーター、河合聡一郎さんによる事業承継をテーマにした連載。今回お話を伺うのは「築地玉寿司」を展開する株式会社玉寿司 代表取締役社長の中野里陽平さんです。4人兄弟の末っ子に生まれ、幼い頃から「将来は自分が会社を継ぐ」と意識していたという中野里さん。4代目社長に就任し、多額の負債を抱える財政状況から回復を果たしたものの、さらなる成長を遂げるために待ち受けていた課題とは。

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株式会社玉寿司

代表取締役社長 中野里 陽平さん

1972年東京生まれ。学習院大学法学部政治学科卒業後、事業承継のため、アメリカのコロラド州にあるデンバー大学に留学し、「飲食のMBA」と呼ばれる経営プログラム「HRTM」を修了。1999年に株式会社玉寿司に入社し、2005年に4代目代表取締役社長に就任。


築地の老舗寿司屋を継いだ4代目

河合聡一郎さん(以下、河合): 中野里さんが会社を継がれたのはおいくつの時でしたか? また、社長に就任された当時、 会社はどのような状況だったのでしょうか。

中野里陽平さん(以下、中野里): 会社を継いだのは私が2005年、32歳の時です。社長になって真っ先に直面したのは借金返済です。当時はバブル後の負債を多く抱えて経営が火の車状態でしたので、最初の10年は借入金を返すのに躍起になっていました。ですが、先代からご贔屓にしてくださっているお客様には随分と支えていただきましたね。社内もいわゆる昔ながらの職人気質の社員が多いのですが、私が決めたことに対しても一致団結してついてきてくれました。会社としては非常に大きなピンチでしたが、どうにか切り抜けることができました。

河合: 家業を継がれたことで、先代であるお父様との関係性に何か変化はありましたか?

中野里: ありがたいことに、私が就任してからは経営を全て任せてくれています。私が社長を継いだ当時、先代から言われた言葉があるんです。

「寿司は未来永劫愛される、でも玉寿司が愛されるかはお前次第」。

河合: おお、それはすごいメッセージでもあり、プレッシャーですね。けれど、やってやろうという気持ちになりますね(笑)。

中野里: 先代は言い方もうまかったんですよね。私の性格をよく理解しているというか。先代も私も会社に対する考え方はよく似ています。経営をバトンタッチしてそれぞれやり方は違っても、向かうべきポイントは外していないのではと思います。

河合: そもそも中野里さんは、これまでの人生の中でいつ頃から会社を継ぐことを意識されましたか? 小さい頃から周りからはどのように言われて育ったのでしょうか。

中野里: 実はすでに幼稚園のとき、アルバムの寄せ書きに「将来の夢は玉寿司の社長になること」と書いていたんです。しかも幼少の頃から家族や親戚に「継げ」と言われたわけではなく、自分の意思です。私は次男ですが、子供の頃から会社経営に魅力を感じていたのか興味がありました。兄はどちらかというと縁の下の力持ち的なタイプです。

河合: それは随分と早いですね。四人兄弟の末っ子なのになぜ?

中野里: ……宿命で生まれてくる部分もあるんだと思います。ですから、会社を継ぐ話が持ち上がった時も兄とは揉めることなく、自然なかたちで就任しました。

「人は思い通りに動かない」リーダーの苦労

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