連載:第86回 組織作り その要諦
「イエスマンばかり」からはじまった社内改革20年史。超トップダウンから自律型組織への軌跡
「失敗しないことが最も重要視され、社員たちは怒られないために仕事をしていました。」株式会社山櫻 代表取締役社長 市瀬豊和さんは社長就任当時を振り返ります。組織改革に乗り出すも、自分の周りに「イエスマン」が多いことに気がつきハッとした市瀬さん。社員が自ら主体的に考え動けるようにするための、2つの行動を徹底しました。結果、現在では社員からどんどん新たなアイデアが生まれるように。「指示している間は、社員の主体性は絶対に育たない」と断言する市瀬さんが、徹底したこととは。詳しく伺います。
株式会社山櫻
代表取締役社長 市瀬 豊和さん
1962年生まれ。10歳から17年間ラグビーに打ち込み、日本選抜に選ばれたことも。慶應義塾大学卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)を経て、1991年山櫻に入社。2004年、41歳で社長に就任。山櫻は1931年(昭和6年)創業。紙製品の製造・販売や、デジタル印刷、クラウドサービス、エシカル商品の企画製造などを手掛ける。売上高120億円、社員数505名(ともに2024年2月現在)。
「イエスマンが多い」で目が覚めた。部下の主体性を引き出すために徹底した、2つのこと
――貴社は老舗企業でありながら、さまざまな製品やサービスを生み出すチャレンジングな企業として多くのメディアに取り上げられていますね。
市瀬豊和さん(以下、市瀬):ありがとうございます。現在は、現場から「こういった取り組みをスタートしたい」と、アイデアがどんどん上がってきますね。以前と比べると、かなり主体的に自ら考えて動ける社員が増えたと思います。例えば、当社には名刺のWeb受発注システムを扱う部署があるのですが、そこに関しては日々チャレンジの連続で、私も驚くほど先進的なことに取り組んでいます。
――「以前と比べると」ということですが、過去はどのような組織だったのでしょうか?
市瀬:まず私は、第一勧業銀行(現みずほ銀行)を経て29歳で入社しました。当社は創業以来、名刺や封筒、挨拶状などを中心とした紙製品の製造販売を手掛けてきた会社です。私の祖父が25歳で創業し、91歳で亡くなるまで社長を務めました。祖父はユーモアも抜群で、人間的に優しく真面目であり、カリスマ的な存在でした。
ただ、仕事においては非常に厳しいマネジメントでした。例えば、在庫管理を担当している社員が、在庫数を間違えるとします。すると、社長の机の前で1時間以上立ったまま説教されるというような状況で……。当時はありがちだったのですが、とにかく完全なるワンマン経営、トップダウン型組織でした。役員を含め、祖父に進言できる人はほぼいませんでした。
そのため、当時の組織は「失敗しないこと」が最も重要視されており、みんな粛々と自分の業務を遂行するようなイメージでした。だから、どんな小さなことでも承認を得ていましたね。極端な話、お客さまに持っていく2,000円の菓子折りの内容まで「社長に許可をもらわなきゃ」という感じでした。
私は、この保守的でチャレンジしようとしない、「怒られない」ことだけを目的に動く組織に強い危機感を抱いていました。私が入社した1991年頃にはマッキントッシュが普及しはじめ、同時に印刷や紙製品の業界は「斜陽産業」と言われるようになりました。山櫻がこの時代を乗り切るには、組織を改革することが必須だと思ったんです。
それで祖父に「もし私を後継者と考えてくれているのであれば、世代交代を早くしてください。」と伝えました。そうじゃないと、この会社は時代に乗り遅れてしまうと。祖父が死去した後8年ほど叔父が社長を務め、2004年、私が社長に就任しました。41歳でした。
ただ、最初は反省の連続でした。特に、社長になってすぐのマネジメントですね……。
――詳しく教えてください。
市瀬:私は長年ラグビーに打ち込んでおり、体育会系なのでどうしてもトップダウンになりがちでした。例えば、営業会議などで目標達成できなかったことに対して言い訳ばかりする社員に、厳しく指導することもありました。また、売上を上げるための対策や、考えるヒントなど、割と口を出すことが多かったんです。
ただあるとき、社員たちを見ていて「イエスマンが多いな」と感じたんです。私の発言に対して、何でも「はい分かりました」と言う……。よくよく考えてみると、私自身がそう言わせてしまっているのだと気づいたんです。「祖父と同じようなマネジメントになっている」と感じ、ハッとしました。これでは主体性が育たないし、自ら考えられない組織になってしまうと……。
そこに気づいて以降、10年ほど徹底してきたことが「2つ」あります。それによって、社員たちが自分の言葉で話し、自ら考えて行動できるようになったのだと思います。
――徹底されてきたこと。それは、何だったのでしょうか?
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