連載:第35回 成長企業 社長が考えていること
アルバイト入社から30年で社長へ。語った「日高屋5つの成功要因」
首都圏であればほとんどの駅前で見かけると言っても過言ではない「熱烈中華食堂 日高屋」。リーズナブルで美味しく、さらにどこへ行っても駅前にあるという立地の良さでファンを増やしてきた。2022年5月、3代目の社長に就任した青野敬成さんは、カリスマ創業者が作り上げたこの会社を、どのように成長させていくのか。
株式会社ハイデイ日高
代表取締役社長 青野敬成さん
1974年生まれ。愛媛県出身。らーめん日高でのアルバイトを経て1999年に入社。店長、スーパーバイザー、エリアマネージャーなどを経て、2017年に執行役員、2019年に取締役執行役員営業管理部長・情報システム室長。2022年5月に代表取締役社長に就任。
アルバイトから社員へ 2年目で繁盛店の店長に抜擢
1973年、現在のさいたま市大宮区に誕生した「来来軒」が発祥。78年に法人化、99年にジャスダック、05年に東証二部、06年からは東証一部上場企業となったのが「日高屋」「焼鳥日高」などを展開するハイデイ日高だ。今や約450店舗を展開する。社長の青野さんは6年間のアルバイトを経て、99年に社員として入社した。
「当時は証券会社が倒産するなど厳しい不況の時代でした。そんな中でこの会社を選んだのは、アルバイトを通じて、高収益であることを知っていたから。この会社なら10年はつぶれない、と確信できたからでした」
愛媛県の高校を卒業後、予備校に通っているときに見つけたアルバイトが「らーめん日高」(2022年に焼鳥日高に業態変更)だった。大宮の駅前にあった店。当時は20店舗ほどの展開だったが、6年後、社員になる頃には60店舗近い規模になっていた。
「実は同時にいろんなアルバイトをしていたのですが、らーめん日高の強みは、味と価格のバランス、そして立地の良さでした。途切れることなくお客様がみえるのはここだけ。お客様は呼ばないと来てもらえない、という飲食店も少なくありませんでしたから」
入社すると「来来軒」に配属された。1年後、アルバイト経験もあったため、自ら経営陣にアプローチすると、なんと2年目で「らーめん日高」の繁盛店の店長に抜擢された。40代、50代のベテラン店長が当たり前だった中、過去最高の利益を出す店を作り上げる。3年後、西新宿の「日高屋」の店長を命じられると、今度はお昼の1時間に4回転するほどのお店に仕立てあげた。
「席への案内の仕方、オーダーの取り方、スタッフの配置や動き方など、流れが大事。前のお店のアルバイトさんにも来てもらって、流れを確立させました」
その1年後、29歳という異例の早さでスーパーバイザーになり、複数店舗を管轄。32歳で営業部長として複数のスーパーバイザーをまとめる役割を担った。ここで人事制度が変わり、一つの店の店長をしながら4つの店を管轄するエリアマネージャーになる。
「再び現場に出たんですが、これが良かった。ずっと本社にいたら、現場が見えなくなっていたかもしれません」
その後は、エリアの複数店舗を束ねる地区長を5年。営業部長、そして取締役となり、22年5月に社長に就任した。
創業から約50年 成長し続けられた要因とは
まさに会社の成長を自らのキャリアで体感してきたのが青野さんだが、その要因について5つを挙げた。まずは、創業者を中心とした経営陣のわかりやすくて、フランクな経営スタイルだ。
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