連載:第1回 ヒット商品を生む組織
ヒット商品はこうできた。文化になる前から、信じてコツコツ…。改善と笑顔が溢れる会社の作り方
アウトドア好きであれば知らない人はいないであろう「ユニフレームのファイアグリル」。調理もできる焚き火台のヒット商品として長年愛され続けています。手掛けるのは新潟・燕市の株式会社新越ワークス。現在、従業員100人超の同社がなぜ、このヒット商品を生めたのか? またそこには、どんな戦略と組織づくりがあったのか? 社内変革における「職人」との向き合い方や、社員の笑顔を大切にするという経営哲学、そして燕市のまちぐるみの生産性向上の取り組みについて、社長の山後 春信さんに聞きました。
株式会社新越ワークス
代表取締役 山後 春信さん
1960年新潟県燕市生まれ。明治大学卒業後、大阪の金網素材メーカーに勤務。1984年に家業・新越金網株式会社の子会社として、キャンプ用品総合メーカー・株式会社ユニフレームを設立。2004年に株式会社新越金網の取締役社長に就任、2014年に株式会社新越ワークスに社名変更。現在、燕市のまち工場を対象にアナログからデジタルへ移行する取り組み「燕版共用クラウドSFTC」の普及活動にも力を入れている。
10年以上赤字が続いてもやめなかった。
――社長就任の経緯について教えてください。
山後 春信さん(以下、山後): 当社の前身となる新越金網株式会社は、金網加工のメーカーとして1970年に私の父が創業しました。ラーメン屋などの厨房で見かけるザルは、当社の製品が多いと思います。
私は長男でしたので(いずれ継ぐことになるだろうな)という意識はありましたが、他の経験もしてみたいと、大阪の金網メーカーに勤務したり、東京でFAXの飛び込み営業をしたり、フラフラしていましたね(笑)。
また、ちょうどバブルに向かっていく時代でしたので 「ザル屋として金網を作り続けるのは時代に乗り遅れる……」と、家業に戻る気持ちはなかなか沸いてきませんでした。
そんな中、転機が訪れます。「カセットボンベを使った屋外用ヒーターを作りたい。金網部分を共同開発してほしい」とメーカーから相談があったのです。「ザル以外を作るならおもしろいかも!」。そんな気持ちで、家業に戻りました。
ただ諸事情あって、結局屋外用ヒーターは自社で開発することに。そこで、子会社として株式会社ユニフレームを立ち上げました。1985年のことです。
私はもちろん、父としても「ザルだけでなく別の事業の柱を」という意識はありましたね。
麺の湯きりザルなどで大きなシェアを持つ。釜茹で用のプラスチック網は大手うどんチェーンで採用されている。
――その後、1990年代の第一次キャンプブームが訪れるわけですね。
山後: はい。屋外用ヒーターの会社を立ち上げたは良いものの、冬の短い期間しか需要がありません。新たな収益源を探すなか、知人から「日本でオートキャンプが流行りそうだ」ということを聞きました。
もし日本でキャンプが流行すれば、当時まだ商品化されていなかったカセットボンベタイプのツーバーナーがきっと売れる! そう確信して開発に取り組みました。そして商品発売の翌年、第一次キャンプブームが到来したのです。
――完璧なタイミングですね!
山後: そうですね。キャンプブームの最中は本当によく売れました。しかし、このキャンプブームは4年ほどで終了。 すぐに赤字に転落し…この赤字はその後10年以上続くことになりました。
当時、銀行からは「道楽はやめましょう。キャンプ事業をやめれば融資しますから」とまで言われる始末。ですが、 私の気持ちは揺らぎませんでした。 日本で初めてのキャンプブームを経て、「キャンプは一時のブームで終わらず、必ず文化として定着する」と、信じてやまなかったからです。
信じて開発を続けてきたものが、外的要因で一躍ヒット商品に
――――赤字を脱したきっかけは何だったのでしょうか?
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