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連載:第8回 自社だけで悩まない!専門家に相談してみよう

廃業寸前から5年で海外展開・EC成功。地方老舗のV字回復は2つの出会いから

BizHint 編集部 2021年6月16日(水)掲載
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職人の高齢化による廃業が増える中、最後の職人が死去する直前で技術と事業をつないだ企業があります。埼玉県寄居町の染物業・株式会社きぬのいえです。社長の意識が変わり2016年には「JAPANブランド」獲得に成功、コロナ禍で生み出した新業態には多くの支持が集まり、長年の苦労を乗り越えた同社は今、変革の真っ只中です。ここまで来れたのは「2つの大切な出会い」のおかげと語る、同社代表取締役・吉田昌弘さんに話を聞きました。

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株式会社きぬのいえ
代表取締役 吉田 昌弘さん

1986年明治学院大学卒業後、株式会社西武百貨店入社。1994年株式会社きぬのいえ入社、2011年代表取締役就任。オーロラ染め®という特殊染色技法を駆使した染め物を使い、商品企画から製造まで一貫して行っている。2020年6月、後染めサービス事業のSOMA Re:(ソマリ)を立ち上げる。


市場縮小の中で父がチャレンジした「染物」という新事業

――「きぬのいえ」の創業からの経緯を教えてください。

吉田昌弘さん(以下、吉田): 埼玉県の寄居という地域は元々養蚕が盛んな地域で、祖父の代で絹織物の問屋として創業したのが始まりです。その後、着物の文化が薄れ絹織物の需要がなくなっていくなかで、2代目の父が自ら職人として染物をするようになりました。これが現在の当社の主力事業として今に繋がっています。

父が染物を始めたのは昭和の終わりから平成初期にかけて。近隣の秩父では染物が盛んで、父が仕事で秩父へ足繁く通う中で興味をもったのだと思います。 父にしてみれば、既存事業が先細る中で、自ら学び自ら職人となることで、新規事業にチャレンジした 形ですね。

――吉田さんご自身は、どういった形で事業を承継されたのでしょう?

吉田: 私は大学卒業後、西武百貨店に就職しました。昭和61年頃、ちょうど父が染物を始めたくらいの時期ですね。私自身の気持ちとしては「長男だから、いつかは家業に戻る必要があるかな」というのはなんとなく思っていました。

それから数年、父が60歳を超え体力的にもきつくなってきたこともあり、平成6年に実家に戻り、きぬのいえを継ぐことになりました。

職人の高齢化。後継者がいなければ廃業するしかない

――当時の社内はどのような状態だったのでしょうか。

吉田: 父に加えて、高齢の職人が2人。他に事務職の社員が1人と、パートさんが4人くらいだったと思います。家業を継いで私自身も一通り染めの技術を学びましたが、職人というわけではありません。事業運営の大きな課題は、「職人の後継者がいないこと」でした。

当時も今も状況は大きく変わりませんが、染物は国内での需要減少に加え、職人の高齢化・後継者不在で廃業される方が多い業界です。しかし根強く継続的にお取引いただけるお客様もあり、私の中では「絶対に残していかなければならない」と強く思っていました。なので、『なんとしても後継者を見つけなければ』という日々が続きました。

同業のツテを頼ってみたり、廃業された染物屋の職人に声をかけてみたり。それでもなかなか「うちに合う人」は見つからなくて…。染めの技術や考え方などは、職人や工房によって大きく違います。染めができれば良いというわけではないのです。 職人探しにおいて「合う合わない」は何よりも重要 なんです。

そして 職人の後継者が見つからないまま、いつしか当社の職人は70代後半の男性ひとり になってしまいました。

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