連載:第84回 経営危機からの復活
会社が良くなるのも悪くなるのも社長次第。「稲盛会計学」でV字回復のリーダー、自戒と確信


静岡県富士市に本社をおくミズ・バラエティー。同社の栗田佳幸社長は父親である先代社長の急逝により30歳で突然経営を担うことになります。猪突猛進で事業を拡大し、1億円に満たなかった年商は10年以内に21億円超に。しかし、「俺が俺が」という自らの傲慢さが原因でリーマンショックでは売上が1/3に急落。そこで頼ったのが稲盛和夫氏(以下、稲盛塾長と呼ぶ)の「盛和塾」でした。「稲盛会計学」と「フィロソフィ」の実践により売上をV字回復、経常利益率10%を達成し経営を安定させ、その後のコロナショックも乗り越えてきました。同社の再生までの道のりと、社員を幸せにする組織づくりについて聞きました。

株式会社ミズ・バラエティー
代表取締役 栗田 佳幸さん
1966年、静岡県出身。成蹊大学卒業後、中国に留学し1990年、ヤオハンジャパン入社。1993年ミズ・バラエティーに入社。1996年、代表取締役就任。経営のかたわら、実践経営者道場《大和》代表世話人を務める。従業員数300名(パート含む/2025年現在)。
経営者どうしの論戦の最中、一瞬の景色で「自分の愚かさ」を悟った
――栗田社長は社長就任時から業績を拡大させたものの、その後、経営危機に陥ります。その経緯を振り返っていただけますか。
栗田佳幸さん(以下、栗田): 1996年に事業承継し、社長に就任してからは怖いもの知らずで早朝から深夜までがむしゃらに働きました。社長就任当時の従業員は私と私の母とパートさん1名の3名でしたが、売上も社員数も毎年右肩上がりで、2005年には売上21億・従業員数100名超という規模まで成長しました。
しかし、組織としての力はあまり発揮できていませんでした。当時の私は社員をどうやったら自分の手足のように上手に使えるかと考えていました。社員たちが思い通りに動かないと「なぜできないのだ?」「なぜ頑張らないのか」などと憤慨していました。私なりの「善意」で信念を持って、自分のやっていることは全て正しいと思ってやっていたので、辛辣なことも平気で言える「強さ」がありました。
今では自分の考え方が間違っていたことが理解できるのですが、当時は全くわかりませんでした。「俺は皆のために頑張っている。それなのに、なぜこんな対応をするんだ!」と常に不満をもっていました。
そんな状態で、会社が順調に成長できるわけがありません。リーマンショックで市況は突然暗転。売上は1/3の7億円に激減しどんどん追い詰められていきます。当時の主力事業であったノベルティグッズ・販促品のムーブメントが去り、深刻な打撃を受けました。
私は焦り、無理なノルマを社員に課しては追い立てていました。会社を好転させる手立てもなく、社員も目標を達成できません。自分自身が精神的に崩れて、社員にもつらく当たるという負の循環に陥っていました。そして、多くの社員が会社を去っていきました。
――そういった状況から、いかにして立ち直ったのでしょうか?
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バックナンバー (84)
経営危機からの復活
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