連載:第22回 経営・SaaSイベントレポート2022
「鳥貴族」を成長させた“逆算経営”。成功を誰よりも信じた社長の信念


大阪・東大阪市の1号店から始まった焼鳥屋から、今や全国618店舗を展開する巨大焼鳥チェーンとなった「鳥貴族」。創業1年目でいきなり倒産危機に陥るも、それらを乗り越え、強い企業へ成長を遂げました。コロナ禍においても国産チキンバーガー専門店という新業態を立ち上げるなど、果敢な挑戦を続けています。創業者である大倉忠司社長に、同社で大切にしている価値観や経営方針について伺いました。


1960年大阪府生まれ。調理師専門学校を卒業後、大手ホテルチェーンで働く。1982年焼鳥店に転職。1985年に独立し、東大阪市内に鳥貴族1号店をオープン。1986年に株式会社イターナルサービス(現株式会社鳥貴族ホールディングス)を設立。2014年にジャスダック上場、2015年に東証2部、2016年には東証1部上場を果たす。グローバルチキンフードカンパニーを目指してグローバルな展開にも力を入れている。
1号店の売上不振でいきなり倒産危機。窮地を脱して店舗拡大の礎となったのは、○○への路線変更
私が代表を務める焼鳥屋「鳥貴族」は、2022年10月現在618店舗を展開、2022年7月期の連結業績は売上高202億円となっています。
10年に1度来ると言われる感染病対策と経営基盤強化のため、新たに国産チキンバーガー専門店TORIKI BURGERという新業態を立ち上げました。2030年までに国内1000店舗を目標にするほか、ビジネスモデルが確立したらアジア中心のグローバル展開も考えています。
319円(税抜)均一の低価格で、高価値なサービスをお楽しみいただく。たかが焼き鳥で「世の中を明るくしていきたい」。それが鳥貴族の誇りです。(鳥貴族のHPより引用)
そもそも、私と飲食業との出会いは、高校時代に初めてアルバイトしたビアガーデンです。そのアルバイトは高3まで続け、天職に出会ったと思い、飲食業に進むことを決めました。その後、調理師学校で学んだのちホテルのイタリアンレストランに就職。当時の飲食業は、徒弟制度が色濃く残っており、トイレで悔し泣きをしたほどの厳しい職場でした。
鳥貴族の創業は1985年。私が25歳の時です。 当時は大吉や伝助など、いかにも焼鳥屋らしい店名ばかりの時代だったので、差別化を図るために店名に「貴族」とつけました。そこには、「若い人や女性にも喜ばれるお店にしよう」「お客様を貴族のように大切にする」という思いを込めています。
ビジネスモデルにおいて影響を受けたのが、ダイエーの創業者である中内功さんです。「価格決定権をメーカーから奪い消費者に与えるんだ」という考え方に強く共感しました。 多店舗展開の購買力でスケールメリットをつくれば、お客様に喜ばれる価格が実現できる、 それを焼鳥屋でやれないか?という思いが、私の原点です。
創業当時のメニュー内容
1号店は私の生まれ育った東大阪市にオープンしました。商店街も年々寂れていくような場所でしたが、破格の家賃だったんです(笑)。150円、250円、350円のスリープライスで営業していたのですが、開店後4ヵ月は平均日商6万円。5ヵ月目以降はさらに落ち込み、 毎月20万円の赤字が続くような状態に…。 正直、倒産も意識せざるを得ない状況でした。
そんな苦しい状況が続いていた1年後、鳥貴族は大きな決断をします。
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経営・SaaSイベントレポート2022
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