連載:第19回 老舗を 継ぐということ
これからもお客様に寄り添うために 400年以上の歴史を持つ老舗企業が「変えた」もの
創業438年を迎える「ゑり善」は、日本の伝統文化である着物を守り続ける老舗呉服店です。お客様や取引先に対して嘘偽りのない正直な商いをしていこうという企業理念である「正商(せいしょう)」を大切に、着物のスペシャリストとして全国に3店舗(京都本店、銀座店、名古屋店)を展開。IT企業に勤めた経験を持つ代表取締役の亀井彬さんは、残すべきものを大切にしながらも新しいシステムやITツールを柔軟に取り入れ、時代の変化に対応しています。コロナ禍では大きな影響を受けましたが、自社だけではなく、お客様や業界のことも考えながら前進し続ける亀井さんにお話を伺いました。
株式会社ゑり善
代表取締役社長 亀井彬さん
1987年生まれ、京都府出身。同志社大学商学部商学科卒業。大学卒業後は旧・日本ユニシスに入社し、東京本社で勤務。システムエンジニアや営業として研鑽を積む。2013年に「ゑり善」に入社。先輩社員から商売の本質を学びながら営業を行い、2017年に専務取締役、2021年に代表取締役に就任。業界の活性化はもとより、若手社員の活躍の場も創出するなど、新たな取り組みにも積極的にチャレンジしている。
専門性を追求し生き残り続けたゑり善の438年間
――貴社の事業内容を教えてください。
亀井彬さん(以下、亀井): 当社は本能寺の変の2年後、天正12年に創業した呉服専門店です。お客様に新しいお着物をお求めいただくだけではなく、コーディネートのご提案や着用したお着物のお手入れ、仕立て直しなど、お着物に関するあらゆるお困りごとに対応しています。
曾祖父が大正にゑり善を継ぎ、祖父は戦後の混乱期を経て、豊かになっていく時代の中で商いをしていました。
多くの方にとってお着物が身近なものになり、ご購入される機会が増えてまいりました。
このころに曲がったことが嫌いな祖父が、「正商」という理念を掲げ、この考えは今なお受け継がれております。現在は京都の四条河原町、東京の銀座、名古屋の八事石坂に店舗を構えています。
――戦後の動乱期から高度経済成長期にかけて、人々の装いは和装から洋装が中心となり、呉服店は大きな転換を迫られた時期があったかと思います。貴社はどのような戦略を取られて現在に至るのでしょうか。
亀井: 現会長である父からは、「今があるのも不思議なくらい、決して楽ではなかった」と聞いております。当社は長い歴史がありますが、京都にはたくさん呉服の名店がありましたので、後発と言えば後発です。そのため、社員やお客様とともに他社にないものを作り上げてきました。
呉服の産地である京都には、作る方も、織る方も、着る方も数多くいらっしゃいます。「港で魚屋さんをしているようなものだ」と例えられるくらい、商いとしては非常に難しい場所です。
そんな京都で存続していくために大事なことは、事業を多角化することではなく、いかにより高度に専門化していくか。お着物の作られ方やコーディネートの仕方、お着物の楽しみ方、お着物を後世にも美しい状態で引き継ぐための方法など、日々お着物の奥深い魅力を感じながら、お着物についての学びを続けております。
「着物を着て楽しみたい」というお客様お一人おひとりに寄り添い、お困りごとを教えていただく。その時だけの商売をするのではなく、「装う喜び」をお客様と一緒に日々感じてこられたことが、今につながっているように感じています。
――お父様が多角化せずに商売を続ける姿を見てきた中で、明確に「このお店を次につないでいく」と感じたのはいつ頃だったのでしょうか。
亀井: 私は小さい頃から一度も、父に「継ぎなさい」と言われたことはありません。しかし、長男として生まれてきたので、「いずれそうなるのかな」と感じていました。周りの方もそういう風に支えてくださっていたと思います。
私自身は全く覚えていないのですが、小学生のころ同級生に「日本一の呉服屋になるんだ」と言っていたらしいので、それなりに考えていたんだと思います(笑)
“やりがい”があるかどうかを「甲斐性がある」というんですが、私は小さい頃から父の姿を見て、日々やっていることが誰かのお役にたてているかどうか、甲斐性があるかどうかを見ていたように思います。今になって思えば、父は商いの本質的なところを背中で見せてくれていたのかもしれませんね。
IT業界と呉服業界の共通点は「顧客に寄り添ったコミュニケーション」
――大学卒業後は、家業に入らずIT企業に就職されました。将来的にゑり善を継ぐその時までに、何を勉強しようと考えていたのでしょうか。
亀井: いずれ家業に戻るつもりで就職活動をしました。その時に私が大事にしていたのは、 「呉服と同じようにお客様と向き合える、売って終わりではない仕事をしたい」 という想いです。また、ITという先端部分に触れておくことも重要だと考えていました。
2009年にBIPROGY株式会社(旧:日本ユニシス)に入社しました。選んだ理由は、IT企業らしいスマートさと日本らしい人懐っこい社風の調和がとれており、すごく魅力的な会社に映ったからです。社員教育もしっかりしていたので、文系から入社した私にとっては非常にありがたかったですね。
――BIPROGY株式会社での経験から、現在の貴社に活かしていることはありますか。
亀井: 当時、BIPROGY株式会社では、業界で1、2のシェアを争う、リース会社向けのパッケージシステムを作っていました。BIPROGY株式会社の強みは何か、考えた時に最後に行きついたのは「業界への理解が深いシステムエンジニアがいること」でした。法改正や財務に関することなど、お客様が知らないことを広い範囲で相談できるプロフェッショナルがいたんです。
「やっぱりこういう存在が必要なんだな」と思いましたし、 呉服屋に置き換えると、私たちも呉服に関して、何でもお客様の相談に乗れるような存在になるべきだと感じました。
また、約2年半システムエンジニアをしていた時に「大学で専門的に勉強してきたうえに、その道にものすごく興味関心がある人たちには適わない」ことを痛感いたしました。「この分野では勝てないな」という方がたくさんいたことがとても大きな気づきでしたし、それぞれの強みを生かして協力して働くという社会人のあり方を学びました。
その後、もともと希望していた営業職に就き、「お客様とコミュニケーションをとってご要望を聞き出すことであれば、他の方と勝負できるかもしれない」と思えるようになった。 企業とは、従業員それぞれの個性を生かして成り立っていることも分かりました。
これらの経験から、当社が何かをするときに 社内のメンバーで補完できない能力があれば社外の人の力を借りるべきだし、そうやって信用、信頼できるパートナーをしっかりと探すことが、オーナーとしての役割だということを感じました。
「ほんまもん」を次世代に繋ぐ決意 老舗の強みはベテランの知見が長く蓄積されること
この記事についてコメント({{ getTotalCommentCount() }})
-
{{comment.comment_body}}
{{formatDate(comment.comment_created_at)}}
{{selectedUser.name}}
{{selectedUser.company_name}} {{selectedUser.position_name}}
{{selectedUser.comment}}
{{selectedUser.introduction}}
関連記事
バックナンバー (23)
老舗を 継ぐということ
- 第23回 経営者になり気付いた「多くの意見」に潜む罠。24歳のリーダーが捨てた常識
- 第22回 「うなぎパイ以外赤字だった」老舗企業を変革したリーダーに聞く、組織づくりの本質
- 第21回 「自分を信用していないのか!」右腕に叱責され目が覚めた。ダメ組織を一歩ずつ再生するリーダーの迷いと奮闘
- 第20回 京都の丁稚で得た「最も大切なもの」。山形で200年・10代目が説く「絶対にやってはいけないこと」
- 第19回 これからもお客様に寄り添うために 400年以上の歴史を持つ老舗企業が「変えた」もの