連載:第21回 老舗を 継ぐということ
「自分を信用していないのか!」右腕に叱責され目が覚めた。ダメ組織を一歩ずつ再生するリーダーの迷いと奮闘
祖父から突然引き継いだ会社は、着服やずさん管理が日常のダメ組織…。愛知県稲沢市の置き薬販売を27歳で託された小柳彩子社長は、会社を健全化・正常化するために奮闘を続けます。 古参社員が全員退職するも、右腕となる社員が入り、MBA取得などを通じて「社長としての意識」を身につけていきます。そんな中で起こった社員のクーデター。「常務を取るか、社員を取るか」という選択を通じて自身の意識に向き合い、叱責され、決断を下します。小柳社長の社長としての成長と、その決断の背景について伺いました。
株式会社ぷちてんぐ
代表取締役 小柳 彩子(さやこ)さん
1976年生まれ。2000年、北里大学薬学部卒業後、薬剤師として調剤薬局勤務。03年、上海中医薬大学卒業。祖父が仕事中の交通事故で下半身不随になったのを機に、中国から帰国し江戸時代から続く置き薬業を継ぎ、「株式会社ぷちてんぐ」を設立。2014年、名古屋商科大学大学院MBA取得。
突然の社長就任。着服、ずさん管理…社内はダメ組織だった。
――会社を継がれる経緯について教えてください。
小柳彩子さん(以下、小柳): もともと私は中国の伝統医療「中医学」を学ぶために上海の大学に留学していました。卒業後、中国国内をバックパッカー旅をしていた所、タクラマカン砂漠の手前で「祖父が事故で下半身不随になる可能性あり。すぐ帰れ」と、電報みたいなメールが届いていたのです。
国際電話をかけると、会社の方は電話口で「なんとかがんばっています…」としか仰らない。「これはダメだな…」とピンときて、すぐに帰国しました。
そして祖父に会うや「お前に会社を任せる」と…会社を引き受けることになりました。2003年、27歳でした。
――それまで、会社とは無縁だったのですよね?
小柳: はい。はじめて出社した日、朝礼が始まったと思ったらみんなお茶を飲み始めて、雑談して、ゆるゆると仕事を始めるみたいな。「えっ、今の何!?」という感じでした。 在庫管理や経理、営業など…とにかくすべてがずさんな、ダメ組織でした。
中でも不思議に感じていたのが、営業・集金のフロー。営業担当者はお客様を回って、置き薬の中から使われた薬を確認・補充して、代金を受け取って帰社します。帰社後は集金金額を手書きで伝票に書くのですが、その内容について誰も確認しない…。
現金商売で、数字は自己申告して終わり…って、そんなのおかしいじゃないですか。 後からわかったのですが、営業は売上からお金を抜いていました。いわゆる着服です。
――それは、先代の時からそうだったのでしょうか?
小柳: 先代の祖父はそれも含めてお金の勘定をしていました。「営業がくすねる分もひっくるめて、給料」といった具合に。正直、わけがわかりません。さらに給料は先払い。どうせ払うのだから、早く払っておいたほうがいい…と。
私はそれを知らず、また営業の給料があまりに低かったので、一般的な水準までアップさせました。まさか、そんなカラクリがあったとは…。
――給料を上げた後、着服はどうなったのでしょう?
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