連載:第50回 リーダーが紡ぐ組織力
集客動員数20万人超の地方プロレス。V字回復のリーダーが捨てた「2つの常識」
年間の集客動員数が20万人を超える「愛媛プロレス」。立ち上げたのは、マーケティング業界で働き「プロレスとボクシングの違いも分からなかった」女性でした。2016年に愛媛プロレスを旗揚げすると、既存の常識にとらわれない手法で、躍進を遂げます。コロナ禍でピンチに陥るも、V字回復を実現。しかし、マネジメントの面では苦労することも……。在籍する目的の違うメンバーの意識を一つにすること、そして「後継者育成」には3年をかけ徹底的に取り組みました。すべては、自走する組織をつくるため。愛媛プロレスの創業者であり、株式会社 魅せるぜえひめ愛 会長の田中エリナさんが取り組んだこととは。詳しく伺います。
株式会社 魅せるぜえひめ愛
会長 田中 エリナさん
1984年愛媛県生まれ。津田塾大学を卒業後、株式会社リクルートに入社し、広告営業を経験。2012年、愛媛県で総合マーケティング会社を設立。2016年「愛媛プロレス」旗揚げ。2019年、愛媛プロレスの企画運営を手掛ける株式会社魅せるぜえひめ愛を設立。2022年より現職。松山市議会議員、Bリーグ(男子プロバスケットボールリーグ)理事も務める。愛媛プロレスは、練習生を含め31名のレスラーが在籍。(2025年1月現在)2023年には集客動員数20万人を超え、過去最高を記録。
地方プロレス団体「愛媛プロレス」はなぜ成功したか
――田中さんは、全国でも類を見ないプロレス団体の女性代表です。なぜ、愛媛プロレスを立ち上げたのでしょうか?
田中エリナさん(以下、田中):私は、愛媛県松山市の中心部にある商店街の輸入雑貨店の娘として生まれました。学校から帰るとお店を手伝う日々で、私にとって商店街は居場所でした。ただ、人口が減りECが普及する中、商店街から人がどんどんいなくなりました。経営が苦しくなり、中には夜逃げしたり、もっとつらい選択をする商店主もいました。私の実家も例外では無く、商売がうまくいかず両親が喧嘩する姿を何度も見てきました。それを目の当たりにしたとき、自分の中で「松山に活気を取り戻したい」という思いが強くなっていきました。
社会人になり、地元でマーケティング会社を立ち上げた傍ら、商店街に人を集めようと東京からキャラクターショーを呼ぶなどイベントを仕掛けてきました。そんなとき、地域活性について学ぶ中で、愛媛県に住んでいる人の県内産品の消費は多くないこと。そして、地産地消・内需拡大が地域の経済活性化につながることに気が付きました。確かに、私も普段意識して「愛媛産」のものを選んでいないと、ハッとしました。キャラクターショーなんて最たるもので、東京にお金を流してしまっていた……。それで、何とかイベント、エンタメの地産地消はできないかと考えていました。
そんなとき、ご当地プロレスに参戦しているレスラーに出会います。当時、私はプロレスとボクシングの違いも分からないほど専門外でした。ですが、その方が「愛媛に移住しプロレス団体を旗揚げしたい」と言ってくれたので、私は代理店として関わることに。2016年10月に決まった旗揚げ公演に向け、資金集めに奔走し、知名度のあるゲストをアサイン。さらには、地元でプロレスラーになりたい人を募り、5名の練習生を選びました。そして、何とか興行を成功させようとしていた矢先……。旗揚げを主導していたプロレスラーが、突然、代表を続けられなくなってしまったんです。代表がいなければ、プロレスを教えることはおろか興行もできない。私には、プロレス界とのつながりも、もちろんありません。
「辞めるしかない」と思い、そのことを伝えるため道場へ向かいました。すると、ある練習生が駆け寄ってきて「やっと、僕の夢が叶いました!」と目をキラキラさせているんです。他の練習生も同様に、レスラーになるため一生懸命練習していた……。そのとき「彼らの夢を叶えたい」と、心から思いました。その練習生の中に、当時16歳の「ライジングHAYATO」もいました。彼はいま、愛媛プロレスで最も高い人気を誇り、全日本プロレスでも活躍しています。
――その後愛媛プロレスは、旗揚げ公演に成功。そこからわずか3年で、集客動員数が年間10万人超え。2024年には20万人を突破しています。四国4県のプロ野球チームでも観客が年間5万人を超えない中、この数字は驚きなのですが、なぜここまで人を集めることができたのでしょうか?
田中:まず、愛媛プロレスは単独の試合だけでなく、他のイベントに呼んでいただいたり、ショッピングモールに出向したりといった興行もあります。ですので、単純にスポーツの「観客動員数」と比較できないのですが、それだけ多くのイベントに出演している実績が積みあがっていること。そして、呼んでいただけるだけの集客力あるコンテンツになっているのだと自負しています。
――それは、なぜなのでしょうか?
田中:大きな要因として、二つの「常識」を捨てたことにあります。まず一つ目は、プロレス、スポーツビジネスにおける既存のビジネスモデルです。
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バックナンバー (50)
リーダーが紡ぐ組織力
- 第50回 集客動員数20万人超の地方プロレス。V字回復のリーダーが捨てた「2つの常識」
- 第49回 「週休3日制の導入」で最高業績の老舗企業。ワンマン経営から自走する組織への軌跡
- 第48回 自走する組織へと導いた「凡人社長」が気づいたリーダーシップの本質
- 第47回 社員の反発で目覚めたリーダー。自律型組織を生み出すために貫いた葛藤と覚悟
- 第46回 教育で人は変わらない。社長の信念が証明した「人が辞めない組織」の作り方