連載:第13回 経営危機からの復活
社長就任2週間で倒産。民事再生からの復活劇は社員を信じることから始まった
民事再生では、半数以上が再倒産してしまうという現実があります。しかしそんな困難を乗り越えて、2013年の民事再生手続きからV字回復を遂げたのが、大阪に本社を置く株式会社ビジョンメガネ。修羅場と化した取引先との交渉や社員からの冷たい視線…。それらを乗り越え再生・成長の土台を築いたのは、倒産当時就任2週間だった生え抜きの新米社長でした。「胸を張ってお話しする内容ではないけれど」と語る同社 取締役社長 安東晃一さんに当時を振り返っていただきます。
株式会社ビジョンメガネ
取締役社長 安東 晃一さん
1972年、大阪府生まれ。大阪国際大学卒業後、96年に新卒でビジョンメガネへ入社。店長等を経て、2011年に販売会社である株式会社ビジョンメガネの代表取締役社長に就任。2013年、親会社となる株式会社ビジョン・ホールディングス代表取締役社長に就任するも、その2週間後に会社は民事再生法適用を申請、翌年8月に終結。社内改革は実を結び、2015年には、営業利益を約3億5千万円まで回復させる。
上り調子。「いい会社に入ったな」と思っていたのに…
――安東さんは新卒でビジョンメガネに入社しました。
安東晃一さん(以下、安東): 1996年の入社ですね。当時はコンスタントに新卒を40名ほど採用していました。出店攻勢も積極的に行い、大阪だけでなく関東エリアにも展開。店舗数は180を超え、まさに上り調子でしたね。
――右肩上がりの風景を見ていたわけですね。
安東: 入社直後にジャスダックの店頭公開もありましたし、「いい会社に入ったな」と思っていました。
――店舗拡大はどういう戦略に基づいていたのですか?
安東: 関東圏では大規模商業施設の集客力に期待する形で、テナントとしての出店攻勢をかけていました。加えて、M&Aやチェーン展開していた企業の買収などを行い、着実に商圏・売上を拡大できていました。
――そんな中、低価格メガネとの競争が起こっていくわけですね。
安東: 2001年ごろですね。競合はメガネ業界からではなく、雑貨やアクセサリーなどの小売業界というメガネとは関係のない所から現れました。それ以前、メガネは視力測定や補正など、医療機器に近い商材だったものが、ファッションアイテムのような位置付けに変わっていったのです。しかもそれが、5000円で買える。
上場を果たしたビジョンメガネでしたが、そのタイミングで予期せぬ壁が立ちはだかる形になりました。
――当時、ビジョンメガネはファッションとしての低価格メガネをどう見ていたのでしょうか?
安東: 軽視していたわけではありませんでしたが、さほど広がることはないだろうと高を括っていた部分はあったと思います。
――なぜ、低価格メガネは支持されたのでしょうか?
安東: 当時、メガネは平均すると3〜4万円する高額商品でした。また、レンズ代などが加算されて購入価格が上がっていく仕組みも、お客様にはわかりにくかったのだと思います。
そんな中で、「レンズ付きメガネが5千円」「スリープライス=5千円、7千円、9千円」というわかりやすい販売が始まったのです。ファッション性があって、安い、わかりやすい。これが支持を集めた理由だと思います。
競合への対抗策も、悪循環で苦境に
――あっという間に低価格メガネが旧来の業界を侵食していきます。当時のビジョンメガネはどう対応されたのですか?
安東: お客様に支持されているわけですから、私たちも同様のロープライスの店舗・ビジネスモデルを展開することにしました。ビジョンメガネという屋号は使わず、「マックスエー」というブランドで始めました。
――本丸は残してサブブランドを立ち上げ、イメージの混乱を避けることは戦略としては間違っていないようにも感じます。
安東: マックスエーは立ち上げが順調で、ある程度店舗を増やすこともできました。比較的、うまく回っていたと思います。
――どこかで歯車が狂うのですね。
安東: ビジョンメガネでは高価格帯商品も扱っていたので、「うまく回っているマックスエーにそれらの商品を加えても、売れるんじゃないか?」と欲が出てしまったのだと思います。
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