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連載:第94回 経営危機からの復活

倒産寸前だった地方中小のV字回復。“救われた”社長が挑み続ける「覚悟の経営」

BizHint 編集部 2025年11月12日(水)掲載
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「あのときは遺書を書くことまで考えました。それだけ絶望的な状況だったんです」――そう振り返るのは、福島県にある陰山建設株式会社の陰山正弘社長です。31歳という若さで代表に就任した翌年、リーマン・ショックに襲われ、倒産寸前に陥っていました。それでも、社員は一人も辞めることはなく、発注は止まらず、金融機関の担当者も必死に融資をつなぎ止めてくれたそう。多くの支援者に救われ、同社は危機を乗り越えました。さらに現在では、手厚すぎるとも言える福利厚生や社会貢献活動、先進的なDXの取り組みなど、業界の常識を次々と覆しながら大きな飛躍を遂げています。同社にはなぜ支援者が集まるのか?そんな同社を支える「指針」とは一体?詳しく伺いました。

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倒産寸前の会社に多くの支援者が集まった理由

――2007年に社長へご就任されて翌年にリーマン・ショックが起きていますね。当時の状況をお聞かせください。

陰山 正弘さん(以下、陰山): 社長就任と同じ時期に、新たなコア事業として大型のマンション施工事業を開始したのですが、その矢先にリーマン・ショックが起きました。

それにより、環境は一変します。リーマン・ショックはマンション関連企業への金融引き締めを招いたため、極めて深刻な影響を受けました。発注者であったマンションデベロッパーが倒産し、当社でも資金調達が極めて困難になりました。資金繰りは数億円規模で逼迫し、売上高はピーク時の半分以下に激減…。会計上は黒字でもキャッシュが回らない黒字倒産の窮地に追い込まれ、遺書を書くことを考えるほど、絶望的な状況でした。

しかし今、当社はこうやって生き延びています。リーマン・ショックの危機から脱し、結果的には以前より大きな飛躍を遂げました。

私は当時を振り返ると、 「救われた命」 という言葉を使わずにはいられません。というのも、そうした危機下でも社員は誰一人として辞めず、協力会社も多くの支援を寄せてくれ、また金融機関の担当者も涙を流しながら必死に融資をつなぎ止めてくれたからです。私、そして当社は、多くの方に救っていただきました。

みんなが陰山建設を守ろうとしてくれた。自分のことのように対応してくださった。 そんな多くの「支援者」の存在が、危機を乗り越える最大の力になった のです。

――なぜ貴社には多くの支援者が現れたのでしょうか。

陰山: 当社がそれまでに培ってきた、歴史や信頼というものは大きかったと思います。ただ、今振り返ると、もう一つ 企業として重要な「指針」があったのではないか と感じています。その指針とは、デベロッパーが倒産し、連鎖倒産が目の前に迫ったその時、当社が下した一世一代の決断にもつながっています。それがあったからこそ、周囲のご支援につながったのではないかと。

――その「指針」とは一体?

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