連載:第22回 老舗を 継ぐということ
「うなぎパイ以外赤字だった」老舗企業を変革したリーダーに聞く、組織づくりの本質
静岡県浜松市のお土産の代表格である「うなぎパイ」。“夜のお菓子”というキャッチフレーズとともに、全国のお土産の中でもトップクラスの知名度を誇ります。製造工程を見学できる「うなぎパイファクトリー」には、工場見学の先駆けともいわれ、年間で最大70万人が訪れたそう。堅実な経営をしているようにみえる同社ですが、4代目・山崎貴裕社長は「ある危機感」を覚え、10年以上の歳月をかけて社内改革を進めています。その危機感の正体とは?100年以上の歴史をもつ老舗企業の変革の過程を伺いました。
有限会社春華堂/株式会社うなぎパイ本舗
代表取締役社長 山崎 貴裕 さん
1974年静岡県浜松市生まれ。1998年国士舘大学政経学部卒業。在学中より節句人形の老舗卸売りメーカー有限会社人形の甲世で修業に入る。2001年、春華堂入社。企画室長を経て2017年、同社代表取締役社長に就任。
「うなぎパイ」右肩上がりの成長の裏に生まれた“弊害”
山崎貴裕さん(以下、山崎): 当社は、創業者である山崎芳蔵が和菓子店として設立したのが起源です。うなぎパイは、二代目社長だった私の祖父(山崎幸一氏)が、浜松ならではのお菓子を作ろうと考案した商品となります。1961年(昭和36年)に売り出して以来、高度経済成長期とともに出張者の手土産として全国に広まっていきました。
そして、この波に乗り遅れるなとばかりに営業を拡大。高速道路のパーキングエリアや電車の駅の売店など、様々なお土産ショップに一気に営業をかけていった経緯があります。そうして会社も文字通り“うなぎのぼり”で成長してきたんです。
昭和36年の発売より、一つひとつ丁寧に作り上げているそう。バターと厳選された原料に、うなぎエキス、ガーリックなどの調味料をブレンドした銘菓
山崎: 私が当社に入社したのは2001年。うなぎパイの売り上げは40億ほどで右肩上がりでした。2005年には、うなぎパイの製造工程を見学できる「うなぎパイファクトリー」をオープン。初年度は、来場予想の3倍にも上る年間30万人のお客様がご来場くださり、工場見学施設の中でも異例の「収益が出せる施設」としても評価をいただきました。
しかしこのプロジェクトを進めるにあたって、ある違和感を覚えたんです。それが 「会社には思っている以上にお金がない」 こと。「会社から出せるキャッシュはこれくらいなので、あとは銀行から借り入れしてください」といった具合で、売り上げは伸びているのに、想定より社内にキャッシュがないことが引っかかりました。ただ、周りを見ても、そこに課題感を覚えている人がいなかった…。
だから、周りから少しずつ情報を集めながら、原因を調べていったんです。そこでわかったことがありました。
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老舗を 継ぐということ
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