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連載:第33回 経営危機からの復活

「本音は逃げたかった…。」赤字発表から1年でV字回復。売上25億円に到達できたワケ。

BizHint 編集部 2022年11月18日(金)掲載
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「ガンガン数字を上げる社長が正義だと思ってました。」「そうはなれず、逃げてしまいたいと思ったこともありました。」そう語ったのは、石川県金沢市で中古車や中古部品を世界に輸出する自動車リサイクル事業を手がけている会宝産業株式会社の2代目・近藤高行さん。近藤さんは地元の高専を卒業して半年後に家業に入り、2015年に社長へと就任しました。ひたすら利益を追求したはずが、就任2期目には赤字に転落。社内外のステークホルダー300名の前で赤字発表を迫られました。逃げたくても逃げられず、お父様に背中を押されて立った決算発表会で見えた景色に、気付きがありました。赤字からどう会社を立て直し、V字回復を実現したのか。キーワードは、「たらいの法則」にありました。

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会宝産業株式会社
代表取締役社長 近藤 高行さん

1974年生まれ。石川県金沢市出身。金沢工業高等専門学校(現:国際高等専門学校)を卒業後、アメリカ留学を経て1996年に会宝産業入社。営業部長などを歴任した後、2006年に常務取締役に就任。取締役副社長を務めた後、2015年に代表取締役社長就任。SDGsの達成促進を目的とした国連開発計画「BCtA(ビジネス行動要請)」への加盟を中小企業では初めて(国内では11番目に)承認されるなど、自動車リサイクルを通じた地球環境の保全に貢献している。


社長に就任し2期目に赤字を計上。数字ばかりを追う自分の未熟さを痛感

――近藤さんはいつごろ、家業を継がれることを決意されたのですか。

近藤高行さん(以下、近藤): 小学校の卒業文集にも「将来の夢は父の仕事を継ぐこと」と書いていたので、物心ついた時から意識はしていたんだと思います。幼少期に鍵っ子だったこともあり、学校から帰るのは家ではなくて父がいる工場だったので、父の仕事が自分の生活の一部というか、当たり前の景色でした。

ただ、生来の性格的にはあまり社長に向いていないタイプだったと思います。どちらかというと人前にはあまり出たくないタイプですし、目立つことが嫌いでした。それに、私は嫌なことからすぐに逃げてしまう癖があったので……そんな人間が「社長になりたい」なんて、今思えば甘いですよね(笑)

入社後は、私がすぐ逃げてしまう性格だと分かっていた父から厳しく指導される毎日でした。とにかく 「人の嫌がることをしなさい」「人の3倍仕事をしなさい」 と常々言われて。どんなに辛くても「逃げ」が許されない状況で、ひたすら働きました。他の従業員にはとても優しい父でしたので、それもまた「優しさ」の形だなと、今となっては思います。

――事業承継について、いつ頃にお父様からお話されたのですか。

近藤: 2012年頃ですね。「3年後にお前に任せる。それまでに会社全体のことが分かるようにしておけ」と。なので、この期間は副社長としてすべての部門を統括していました。

父の時代はずっと右肩上がりで成長していたため、経営上の課題は感じづらい状況でした。組織としては強烈なトップダウン体質で、「社長に言われたことだけやる」という空気が会社全体に蔓延していました。従業員が自ら考えて動くことは許されない雰囲気があって、そこは少し窮屈だなと感じていました。課題を課題として捉え、あれこれ考えるようになったのは社長になってからです。

――2015年に社長に就任されましたが、翌年に赤字を計上されました。どのような要因があったのですか。

近藤: 全ては私の考えが甘かったということです。当時は、とにかく数字をガンガン上げている経営者が優秀だと思い込んでいました。自分も同じことをやろうと思い、従業員に対して「数字を作れ」としつこく言ってしまいました。従業員たちも言われたままに、自社の利益を最優先に営業をしますよね。当然ですが、お客様には嫌がられます。「会宝産業は、客のことを考えていない」と言われて……。 結果的に、2016年度の決算は

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