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連載:第1回 プロリクルーターカンファレンス講演レポート

オリックス宮内義彦氏が語る これからの経営に必要な人事・採用のあるべき姿とは (基調講演レポート前編)

BizHint 編集部 2017年3月21日(火)掲載
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社会基盤の変化により、企業が求める人材要件も変わりつつあるといわれる昨今。新卒一括採用を経て同質化した社員の育成が求められたモデルから、日本企業の採用・育成はどのようにかじを切ることが求められているのか。 オリックス株式会社 シニア・チェアマンの宮内義彦氏にビジネスの第一線で得た知見をもとにお話しいただいた。

(本記事はビズリーチ主催 Pro Recruiter Conference2017の講演レポートです)


【登壇者】

オリックス株式会社 シニア・チェアマン 宮内義彦 氏


戦後35年間で急成長した日本の製造業

プロリクルーター・カンファレンスの最初のプログラムである基調講演は、宮内氏の「これまでの経験から、一人の経営者として人事と採用についてどのようなことを感じているかを率直にお話しします」という第一声から始まった。そして、まず宮内氏は日本の産業の歴史について語り始めた。

「敗戦から10年がたった1955年の日本経済は、『経済白書』に『もはや戦後ではない』という言葉が躍るまでになりました。そして、日本の躍進がそこから1990年まで35年間続き、日本経済は世界第2位まで上り詰めました。そのころには、一人あたりのGDPも、世界最高レベルにまで達します。私が知る限り、35年間伸び続けた国は他にありません。ここ10年ほどで台頭した中国ですら現在かげりが見えています」

宮内氏は、日本が急成長した35年間を半分に分け、細かく分析することができると語る。 「35年間のうち前半は、GDP成長率約9.2%という非常に高速度の伸びを見せていました。一方で、後半の成長率は約4.1%となります」  その理由は、日本の製造業にあるという。

「日本は、世界を相手に多くの製品を作り、売ってきました。結果的に、優れた日本の製品が世界に行き渡り、欧米から『勘弁してくれよ』と言われんばかりでした。そして、ついに1985年にはプラザ合意で輸出が制限されます。つまり、日本は戦後、一気に世界の脅威になったわけです。35年で、日本は『世界の工場』ともいえる存在になりました」

もはや製造・輸出産業には頼れない時代が来た

しかし、1985年以降は内需が停滞し、1990年にバブルが崩壊する。それ以後、日本は「世界の工場」の地位から陥落し、今や中国にその座を奪われた。さらに、中国も他の国に追いつかれ、追い抜かれている現状がある。

「日本はもはや工業立国とはいえなくなってしまいました。1990年に金融危機が起こり、結局バブルが崩壊してしまったのですから」

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