連載:第15回 経営者が読むべき労務解説
復職後もパワハラが継続…。事例から考える、ハラスメント対策


職場でハラスメントが起きたとき、あなたならどう対応しますか?被害者の保護、再発防止、会社の信頼維持など、企業側の対応は多岐にわたり、経営にも大きな影響を与えます。対応を誤ると、被害者がさらに傷つき、訴訟や人材流出などにつながるケースも少なくありません。今回は公認心理師・産業カウンセラー・プロコーチの井上礼子さんに、「ハラスメント発生後の対応が原因で人材流出につながってしまった事例」の紹介とともに、ハラスメント発生時の対応方法や予防策についてもわかりやすく解説していただきました。


大手食品メーカーで経理部、お客様相談室での顧客対応、メンタルヘルス&コーチング研修講師を経験し、在職中に大学の心理学科を卒業。現在は企業でカウンセリング・コーチング・ストレスチェック・復職支援等を提供中。
※本記事はSmartHR Mag.が主催する「ランチタイムで丸わかり!人事労務トピック」セミナーを記事化したものです
【事例】過重労働やハラスメントの末に退職
「残業してでも終わらせろ」過酷な勤務状況とパワハラで休職に
とある企業のシステム部に所属する男性のAさんは、困難な案件を引き継ぎ、毎月50時間から80時間の残業を強いられていました。毎日6時に起床し、帰宅は深夜0時を過ぎ、持ち帰り残業も常態化するという過酷な勤務状況で土日も仕事のことが頭から離れない状態でした。
そうした状況で追い打ちをかけたのは上司の対応です。「自分はこれぐらいやってきたから、君もできる」という経験の押しつけ、「仕事は残業してでも終わらせろ」という長時間労働の強要や、「残業時間を少なく申請しろ」など不正の強要もありました。
ひどいときには書類を投げつけられたり、休暇申請した際は「休むのはいいが、仕事が終わらなければ、どうなるかわかっているな」という恫喝も受けていたといいます。Aさんは誰にも相談できず、プライベートでは生まれたばかりの子供の育児を妻に任せることに対しても罪悪感も抱えていました。
【上司からの理不尽な要求】
- 経験の押しつけ: 「自分はこれぐらいやってきたから、君もできる」
- 長時間労働の強要: 「仕事は残業してでも終わらせろ」
- 不正の強要: 「残業時間を少なく申請しろ」
井上さんはAさんと面談した際の状況について、こう振り返ります。
「お会いしたときは終始うつむいて、話しながら涙が止まらない様子でした。顔色も悪く疲弊しきっていて、すぐに病院の受診が必要な状況でした」(井上さん)
このような状況において、本人としては「この程度で病院にかかっていいものなのか」と迷い判断できず、なかなか受診に至らないケースが多くあります。Aさんは井上さんの後押しもあって病院を受診し、2か月の休職に入りました。 一方、人事部門ではAさんが休職に入るまで状況を把握していなかったといいます。
復職後も続くハラスメント…人事部の対応に不信感
休職を経て復職したAさんでしたが、さらなる問題が待ち受けていました。復職初日、上司はAさんの挨拶を無視し、その後もなにも業務を任されない状態でした。Aさんは、原因は自分にあるのではないかと最初は思っていたものの、次第に上司がおかしいことに気づき、人事部に相談することにしました。
しかし、人事の担当者は親身になってくれるどころか「ああ、復職されたのですね。これからはコミュニケーションをとって仕事をしてくださいね」と素っ気ない対応でした。 Aさんは会社への不信感が募り、転職を決意しました。 多彩なスキルをもっていたAさんは、すぐに希望の条件で転職先が決まったといいます。
このように、ハラスメントや不適切な人事対応により優秀な人材を失うケースはめずらしくありません。近年注目される「リベンジ退職」も、こうした組織の問題が背景にあることが多く、早期の対策が重要です。
あわせて読みたい:「リベンジ退職」の増加から考える、人材定着戦略のこれから/SmartHR Mag.
事例から見える企業側の対応の問題点
今回の事例について井上さんは、組織としての対応に改善の余地があったのではないかと分析しています。この事例から学べる組織運営の改善点として、以下の4つの要素が挙げられます。
1. 長時間労働の放置と隠蔽
Aさんの残業時間は月80時間を超えていましたが、忙しさのあまり申請が漏れるなど、一部計上できていない状況でした。その結果、企業は実際の労働時間を正確に把握できていませんでした。
2. 人格を否定するなどの不適切な指導
上司はAさんに対する期待水準が高く、「なんでできないんだ」「俺はできたぞ」といった暴言を浴びせるなどのパワハラ行為に及んでいました。Aさんの人格や能力を否定するような叱責は、指導の範疇を超えています。
3. ラインケア機能の欠如
ラインケアとは、管理職が部下の心身の健康状態に配慮し、職場環境を整える役割のことです。しかし、この事例では、
- 部下の体調に無関心
- 日常的なコミュニケーションの欠如
- 心身の異変への対応不足
といった状況で、基本的なラインケアがまったく機能していませんでした。
4. 人事対応の不備
人事部は復職後のAさんの相談に応じず、長時間労働の問題についても適切な処置がされていません。さらに、Aさんのライフイベントの変化に対する組織的な配慮も不足していました。
今回の事例を井上さんは次のように総括し、さらなる課題を指摘しています。
「Aさんの話をもとにした事例なので、実際は違うところもあるかもしれません。 重要なのは、少なくともAさんはこのように受けとっているということです。 また、Aさんは人事に相談できましたが、相談できない方も多くいます。人事との距離感から、言いにくいと感じることもあるでしょう」(井上さん)
ハラスメント問題においては、 被害者がどう感じ、どう受けとったかが重要な判断基準であることを忘れないように しましょう。また、 問題の早期発見と解決のためにも、人事部へのアクセスのしやすさ、相談のしやすさが不可欠 です。匿名相談窓口の設置、定期的な職場環境調査、そしてなにより相談者に寄り添う姿勢。これらを通じて、従業員が安心して声を上げられる組織づくりを進めていきましょう。
ハラスメントを引き起こす4つの要因
今回の事例を踏まえ、井上さんはハラスメントが発生する背景要因を4つ挙げています。 以下の要因は多くの組織で見られるものですが、放置すればハラスメントのリスクを高める可能性があります。
1. ストレス増大
組織内でストレスが蓄積すると、それが暴力や暴言として表れやすくなります。たとえば以下のようなストレス要因が組織に存在する場合、ハラスメントのリスクが高まります。
-
過度なノルマや要求
営業目標が非常に高い、長時間労働が常態化している、責任が重すぎる、複数の困難な業務を抱えている、締切・納期が短すぎるなどの状況です。 -
急激な経営環境の変化
業績悪化、組織統合、少子高齢化といった経営環境の変化により競争が激化し、変化への対応により負荷がかかっている状況です。 -
役割の曖昧さ
なにを期待されているのかわからない、複数の上司から矛盾した指示を受けるなど、業務上の役割や責任範囲が明確でない状況がストレスを蓄積させます。
2. コミュニケーション手段の変化によるトラブル
対面でのコミュニケーションからメール、SNS、チャットへと変化したことで、誤解やすれ違いなどのトラブルが増加しています。
3. 組織風土の問題
組織風土に問題があると、ハラスメントを生み出しやすくなります。具体的には、「男性は弱音を吐いてはいけない」「女性らしく振る舞うべき」といったジェンダーバイアスが、指導の範囲を超えた叱責や差別的扱いにつながってしまいます。また、からかいを装った攻撃やミスの犯人探しが横行するなど、心理的安全性が確保されていない職場では、ハラスメントが起きても問題として認識されない傾向があります。
4. ハラスメントの認知度向上
ハラスメントの認識度が上がったことで、これまで見過ごされていた行為が問題として表面化しやすくなっています。
効果的なハラスメント対策の進め方
ハラスメントの根幹にあるのは組織風土
ハラスメント対策の根幹は組織風土の改善にあります。個人の問題として捉えるだけでなく、組織内で問題を見過ごしていないかを検証することが重要です。
まずは、問題の存在に気づいているか、重要性を認識しているか、解決の可能性を信じているか、解決能力があると考えているかの4段階で組織の認識を評価しましょう。
-
問題の存在への認識
「ハラスメントはありますか?」と聞いた際に、 「自組織にハラスメントはない」という回答があった場合は、そもそも問題に気づけていない可能性があります。 -
問題の重要性の認識
「指導の範囲なのでハラスメントではない」と捉えている場合は、組織的な価値観のズレによって、問題の重要性を正しく把握できていない可能性があります。 -
解決の可能性
「会社の体質だから仕方ない」とあきらめている状況では、解決への道筋を閉ざしてしまいます。 -
解決能力
「ハラスメントがあるものの、対処できる人がいない」という状況の場合、3と同様に具体的な改善につながりません。
どの項目も長年醸成された組織文化により「これが普通」と思い込んでしまっていることが背景にあるため、 他社との比較や定期的な組織状況の客観視が重要 となります。
組織レベルの対策例
井上さんは、組織としてのハラスメント対策を3段階に分けて説明しています。
1. 予防と周知
組織としてハラスメントを許さない強い姿勢を明確に示し、全社的な意識向上を図ります。具体的には、経営陣による「ハラスメント撲滅」メッセージの継続的な発信、ポスター掲示などの周知活動が挙げられます。また、ハラスメント防止研修にくわえ、ラインケア研修、アサーション研修、フィードバック研修など多角的な研修を実施するのもよいでしょう。
2. 早期発見・早期介入
ストレスチェックから高ストレス者が多い組織の特定や、上司部下間の日常的なコミュニケーションを通じて異変を察知する、ラインケア機能の強化によって早期発見につなげます。また、相談窓口の設置・周知をし、ハラスメントの兆候を発見した場合は迅速な対応と必要に応じた処置により問題の拡大を防ぎます。
3. 再発防止と職場環境改善
トラブルが発生した際は課題を特定し、心理的安全性を重視したコミュニケーション促進、ミス発生時の「犯人探し」から「改善策検討」への転換など、具体的な改善に取り組みます。
個人レベルの対策例
個人レベルでは、 自分の怒りのパターンや適切な叱り方を習得する感情マネジメントの重要性 を井上さんは説明しています。
「たとえば、管理職は自分とは異なる仕事の進め方をする部下と接する機会が多くなります。 『こうあるべき』という自身の潜在的な価値観によって、自分とは異なる仕事の進め方をする部下に対して怒りを感じることもあるでしょう。 そのため、自分がどのような状況で怒りを感じるかというパターンを理解することが重要です」(井上さん)
自分の怒り方のタイプ(爆発型、執拗型、沈黙型、攻撃型など)を把握しておくことで、感情をコントロールしやすくなります。さらに、管理職として部下を適切に指導するための叱り方を学ぶことも、ハラスメント予防の有効な手段となります。
組織全体で取り組むハラスメント対策
今回の事例から明らかになったのは、ハラスメント対策は個人の問題として捉えるのではなく、組織全体の課題として取り組むことの重要性です。とくにハラスメント発生後は、状況をしっかりと把握したうえで、具体的な改善策の検討や継続的なフォローアップなど、慎重かつ確実な対応が求められます。
経営陣のリーダーシップのもと、予防から事後対応、再発防止まで一貫した取り組みの継続により、すべての従業員が安心して働ける職場環境を実現できるでしょう。
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執筆者:SmartHR Mag. 編集部
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