連載:第5回 中小企業の「見える化」経営者のリアルな声
「なんで給与上がんないの?」と問い詰められ、「すべて見える化」を決意した経営者の覚悟
岩手県一関市で創業100年以上、法被(はっぴ)や半纏(はんてん)、浴衣などの祭り用品を製造する株式会社京屋染物店。4代目として家業を継いだ代表取締役の蜂谷悠介さんは、縦割りだった組織の改革と業務改善を目指してクラウドサービス「kintone」を導入。有名企業と次々にコラボするなどして、コロナ禍があっても5年間で売上を5倍以上拡大させているそう。情報共有がチームにもたらした変化とは──。蜂谷さんに聞きました。[sponsored byサイボウズ株式会社]
株式会社京屋染物店
代表取締役 蜂谷 悠介さん
1977年生まれ。岩手県出身。東北芸術工科大学在学時はWeb制作、デザインなどを手がけるベンチャーを起業。山形、岩手で活動する。2004年に家族が営む京屋染物店(当時は個人事業主)に入り、2010年、3代目の父・徹氏の逝去を経て4代目として承継する。その後kintoneを活用して売上5倍、社員16名に伸ばす。
継いだ染物業は慢性的に赤字だった
蜂谷悠介さん(以下、蜂谷): 京屋染物店は岩手県・一関市で1918年(大正7年)創業の染物店です。主に法被(はっぴ)や半纏(はんてん)、浴衣などの祭り用品、伝統芸能衣装をオーダーメイドで製造しています。
私が京屋染物店を継いだのは2010年、父ががんで他界してすぐのことでした。私が家業に入った当時は法人ではなく個人事業主で、メンバーは両親と祖母、古くからの職人と私の5人のみの小さな家内工業でした。
染物店は100年前には全国に1万4000社ありましたが、現在では300社ほどに減っています。当社も慢性的に赤字に陥っており、「本当にうちの会社は世の中に必要とされているんだろうか……?」と思い悩んだこともあります。
震災復興を期に志を新たにするも……赤字から抜け出せない
蜂谷: ただ、 2011年の東日本大震災をきっかけに思い直しました。東北全体が被災して津波で流されたりするなか、祭りや伝統芸能の復活のために、半纏や衣装を復元する被災地支援をさせて頂き「京屋さんのおかげで、震災以前と同じようにお祭りができました。ありがとうございます!」と言っていただいたことで、「この家業を続けよう!」と私は決心したのです。
持続的に事業を行うべく、それまで一部外注していた縫製を内製化し、デザインから染め、縫製までの一貫生産体制を整えました。採用も積極的に行い、10名前後まで社員を増やしました。「もっと地域に誇れる仕事をしよう」と意気込んでいたのですが……。実はそう考えていたのは私だけでした。
赤字状態から生き残るために、色々な案件を取ってきては仕事が山積みになり、忙しい状態が慢性化していました。私自身も社員をあまり信用しておらず、全くコミュニケーションがとれていなかったんです。
京屋染物店の手ぬぐい、染め職人が1枚1枚染め上げる
社員たちに呼び出され、“吊し上げ”を受ける
蜂谷: そんな折です。現場での不満も相当溜まっていたのでしょう。ある日社員たちに呼び出され、吊し上げにあいました。弊社には会議室がなかったので、指定された社外の貸し会議室に行くと、全社員がコの字型のテーブルにずらりと座っていたんです。
私の顔を見るなり、堰を切ったように不満を浴びせられました。「なんでこんなに忙しいのに俺らの給与は上がんないの?」「社長が毎日何やってるのかよくわかんないし、どれだけ経費使ってるの? 私腹を肥やしてるんじゃないの?」「毎日汚くてキツイし……。社長は『頑張ろう』と言うけど、私たちもうついて行けないです……」と、溜まっていた不平不満を打ち明けられたのです。今も思い出すだけで胃がキリキリするくらい。それほど社員からの信頼は「ゼロ」でした。
「みんな、助けて欲しい」、その一言が会社を変えるきっかけに
蜂谷: 私は「社長とは威厳を持ってカッコよくあるべき存在」だと思っていました。なんとか自分の想いを伝えようとしたのですが、ぼろぼろと涙が溢れてきました。「俺だって不安なんだよ……。必死なんだ……。業界がどうなるかも分からないし……。正直どうしたらいいかわからない。だから、みんなに助けて欲しい!!」と本音をさらけ出しました。
今までは経営を相談できる相手もおらず、必死にもがいていたようなものです。でも、これからはみんなと一緒に会社を作っていきたい。吊し上げを受けましたが、そう決意が出来てより経営に前向きになれた瞬間でした。その日、どれくらい時間をかけて、説得して納得してもらったかはあまり覚えてないのですが、メンバーも僕自身の想いは感じてくれたと思います。
メンバーからの不平や不満などをよくよく聞いていくと、特に課題は製造現場の「見えづらさ」にあると感じました。
“いつ”“どの部門”が忙しくなるのか見えてなかった
蜂谷: 京屋染物店の製造には大きく分けて「営業」「デザイン」「染色」「縫製」「出荷」の5つの工程があります。例えば、法被ならば、お客様のご要望を伺い、仕様の打ち合わせ、お見積もりをご案内する「営業」の工程が最初にあり、襟にどのような字を入れるのか、背中に入る大紋を決めるなど「デザイン」の工程、生地を染め上げる「染色」工程を行います。そして、出来た生地を縫い上げていく「縫製」、仕上がった商品を検品梱包し、お客様にお届けする「出荷」を経てお客様のご要望を叶えていきます。
案件によって作業内容やボリュームはバラバラ。リピートのお客様ならば既に作ったデザインがありますが、初めてのお客様にはイチからデザインを起こすので、確認の工程も入ります。染めるのも、枚数や3色なのか5色なのかでも忙しさは変わります。
案件によって作業内容もボリュームもさまざまなのに、部署間の連携が取れておらず、正確な納期も工程の進捗状況もまったく把握できていませんでした。夏祭りのシーズンに合わせて受注が舞い込むので、夏場の繁忙期には工場が40℃近くなる過酷な環境で深夜12時までかけて作業をしていたこともよくありました。
「案件ごとに見える化できれば……」と思ってカンバン方式でホワイトボードに付箋を貼って管理しようとしたこともありました。でも、いつの間にか付箋が剥がれて床に落ちて、作業が抜け漏れていて「こりゃ、駄目だ……」となったこともあります(笑)。
アナログな業務管理に限界を感じていたので、まずは「情報管理を一元化しよう」とシステムのFileMakerの導入を決めました。でも、初期の構築を私とメーカー担当者だけで進めてしまったのが裏目に出たのです。
「これは必要な投資だ!」と100万円もの大金をかけて導入したのに、現場からは「入力がしづらい」「ここをこうしたら使いやすいのに」と総じて不評でした。更にブラッシュアップしようとしたらベンダーさんから「改修の見積もりは数十万円です」と言われ……。1か月後に改修ができても、期間が空いてしまったので、「ああ、そんな要望出したかも……ですね」と社員は内容を忘れていました。誰も使わずに埃を被っていたのは辛かったですね……。
工程の進行の見える化で、各部署間の助け合いが生まれた
蜂谷: 途方に暮れていたとき、ある転機が訪れました。東北の経営者が集う勉強会で、 宮城県南三陸町で水産加工業を営む株式会社ヤマウチの山内さん に出会ったのです。
山内さんの会社で「『kintone』とメール共有システム『メールワイズ』を連携すると、管理周りが楽になるよ」と教えてもらい、すぐさまメールでの煩雑な処理を効率化、さらにkintoneの主幹アプリに着手しました。
はじめはkintoneで「顧客管理」「販売管理」「受注管理」の3種類の業務アプリを作成するところからスタート。お客さまの情報を入れる「顧客管理」と、請求や帳簿出力を行う「販売管理」、そして、実際にどのような注文を受けて、いつ納品できるかを見える化した「受注管理」です。
すぐさま効果が出て大きなインパクトになったのは受注管理です。各案件の進捗状況が可視化されて、“いつ”“どこの部署”が忙しいかを把握できるようになりました。kintone導入以前は部署ごとに縦割りで一人一役の組織になっていましたが……。工程の見える化を行った結果、「あ、今染色の工程がいっぱいだから……」と手が空いたデザインや縫製担当の社員が忙しい部署にヘルプに入るようになり、社内に「助け合い」の風土が生まれたんです。kintoneを使って納期や進捗管理の朝会を行うようになったら、自然と「使い方を教えてくれますか?」と60代のメンバーも輪に入ってくれました。
工場の稼働状況を見て案件を割り振りできるようになったのもこの頃からです。現在では社員たちごとそれぞれに得意分野はあるものの自部署以外の仕事もできるよう自ら進んで技術習得し、みんなが複数役を担っています。
販売管理データで在庫や受注の適正化も!
京屋染物店のkintone、工程ごとにどれぐらい案件があるかを見える化
蜂谷: 販売管理のデータを入れたら自然とABC分析もできるようになり、在庫の最適化や損益分岐レートもより鮮明になりました。
それまで製造現場では「いつ受注が大量に入ってもいいように」と生地を余分に仕入れていました。受注を受けてから「布がない!? 問屋に発注をかけろ!」となるようでは、品物が作れませんから、もっと納期は遅れてしまいます。場当たり的なやりくりをしていたので過剰な在庫を抱えてキャッシュフローが悪化する一因になっていました。
また、過去の見積書をみると、売上が欲しいが故に小ロットの納期が厳しい案件もたくさん受けていました。「え、これでは受注しただけ赤字……。楽にならないわけだ……」と驚愕したのを覚えています。古くからのお客さまには「ちゃんと計算したら、この金額ではうちは赤字だったんです。本当に申し訳ありません!!」と謝り、値上げを許容していただくことも。
原価管理から粗利が把握できるので、営業が数字を見ながらコントロールできるようになったのも大きな進歩です。それまで工場のキャパシティを越えたら一律でお断りしていたのですが、「この着数ならば……。今、縫製の工程が混み合っているので月末のお渡しはできないのですが、来月なら行けます!」とお客様とコミュニケーションできるようになったのも大きな進歩ですね。
社内の見える化をしたら、社員が仕事を面白がり始めた
蜂谷: 見える化にあたっては、売上や利益、経費など経営に関するデータ、さらには賞与原資のデータまでほぼ社内にオープンにしています。特段社員に隠すような情報は何もないですしね。むしろ、過去に「私腹を肥やしているのでは?」と吊し上げられた私としては、オープンにしてしまった方が「ほら、やましいことは何一つしていないでしょ?」と証明できるので心持ちは楽です。
経営者と社員の線引きをせず、仕事の全体像を全員が把握できるようなったので、「何をどれくらいこなせば、自分たちの給与に反映されるか」や「いかに楽に仕事をこなせるか」を考えるようになり、社内に一体感が生まれ、どんどんと仕事が自分ごとになっていきました。
チームワークの面でも、皆が前向きになったように思います。言われた仕事をやるだけの状態から、自分たちで新しい取り組みやキャンペーンを企画して、実行から効果測定までできるように。昨今では例えば、顧客管理で「お中元を送ったお得意様リスト」を作ったり、kintoneも新しい取り組みに合わせて少しずつ更新したり、使わなくなったものは無くしたりと改良していっています。自分たちで手軽に改修ができるので「まずはやってみよう!」と思えるのが良いですね。それぞれが面白がって仕事をしているのが経営者としては非常に嬉しいです。
コロナ禍でも着実に売上を伸ばして5年で5倍に!
蜂谷: 2020年からコロナ禍の影響で各地の夏祭りは軒並み中止になりました。需要が消えてしまったので、法被や半纏の受注は9割以上失いました。しかし、「自分たちにできることはないか」と攻めの思考をした結果、新たに取り組んだ自社ブランド製品の製造やスノーピークさんなど大手企業、海外ブランドとのコラボレーションワークが伸びています。結果、2020年度も業績は過去最高を更新できました。
実は、コロナ以前から、現在の事業に次ぐ“2本目の柱”を作りたいと話していました。今後は受注生産以外にも、私たちの技術を活かしたオリジナルブランドを作り、育てていきたいと考えています。現在はまだ立ち上げたばかりで、ブランディングやSNSを使った情報発信に力を入れていますが、各部署が自発的に協力しながら進めているのがとても頼もしく感じます。
売上は会社を継いだ当時に比べて5倍以上に増えました。メンバーも20代~30代の若手社員が大半を占めるようになり、2021年は新卒社員も2名採用しています。この結果もkintoneを入れてすべてを見える化し、業務の効率化をみんなで行えたからこそ、だと思っています。
中小企業にとってITツールを入れてデジタル化するのはハードルに感じるかも知れません。それは「すべてをデジタル化しなければ……」という強迫観念があるように思います。でも、すべてをデジタルにする必要はありません。京屋染物店でも、受注書は紙で出力しています。それは職人が染色や縫製の際にちょっとしたメモ書きを残せるようにしているから。作業の間はメモ書きで、終わったらコピー機ですぐにスキャンしてkintoneに取り込んでいます。60代の方でもスマホは使えますから、いきなりエクセレントを目指さずに、3タップくらいの作業で完了する塩梅を見つけると良いのではと思います。
染物屋ほどクリエイティブな仕事はない
蜂谷: 私たちは地方の小さな染物屋ですが、今では「染物屋ほどクリエイティブな仕事はない」と感じています。2019年にはフランスパリに進出して拠点を置いたりしています。私は、ずっと「東京にいないとクリエイティブな仕事はできない。こんな染物なんて……」と思い、大学を出たらデザインの会社に就職したりしたのですが、今ではただの思い込みだったと強く感じます。
この激動の世の中では、迅速な判断力、実行力が求められます。社長が常に正解を導き出せるとは限りません。そのためにも、社内の情報を「見える化」して、社員も経営者と同じ情報を得て思考できる環境が大切だと思っています。これからも逆境をポジティブに捉え、田舎からクリエイティブを発信できる会社にしていきたい。
今後は東北に根付いた工芸や民芸にフォーカスし、現代のくらしに寄り添える形でアップデートしていきたいと考えています。東北には、まだまだ知られていない優れた文化がたくさんあります。作り手と担い手が協力し合い、生活に取り入れたいと思っていただけるような魅力的な商品をお届けしたいです。
将来の夢は、里山を開拓して東北の工芸や伝統芸能に触れられる拠点を作ることです。伝統を受け継いだ者の使命として次の世代へ伝えていけるよう、ここ一関市から大きな文化の循環を生み出していきたいですね。
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