連載:第11回 経営危機からの復活
9億円の負債を抱えても「絶対に解雇しない」。下町の2代目社長は会社をどう立て直したのか
東京・足立区にて1970年に創業し、今年グループ創業51年目を迎える株式会社横引シャッター。「横引きシャッター」とは、横にスライドするタイプのもので、ショッピングモールの店舗などで多く使われており、国内シェアNo.1を誇ります。同社は過去に、約9億円の借金を抱え、社内の雰囲気も最悪という「暗黒時代」がありました。しかしそこから見事這い上がり、現在は実質無借金経営。「危機から復活した会社」「働きやすい会社」などのテーマで、多くのメディアに取り上げられるまでに。今回は、代表取締役・市川慎次郎さんに同社の再建ストーリーを伺いました。
株式会社横引シャッター
代表取締役 市川慎次郎さん
1976年埼玉県生まれ。国士舘中学校・高等学校を卒業後、中国へ留学。北京語言文化大学漢語学部経済貿易学科を卒業。帰国後、父親が経営する横引シャッターへ入社。経理部に所属。その後、創業者である先代社長の急逝を受け、2012年より現職。
写真左は、横引シャッターのオリジナルキャラクター「カニ部長」。
負債は約9億円。先代社長のカリスマ性で成り立っていた会社
――入社された当時、会社はどのような状況だったのでしょうか。
市川慎次郎さん(以下、市川): 私が入社したのは2002年です。実はその時代を「暗黒時代」と呼んでいます(笑)。由来は2つありまして、1つは、会社が借金まみれだったこと。そして、社内の雰囲気が最悪だったこと。
当時は借金の影響で、社員への給与の支払いが遅れていました。それも私が入社するよりもっと前、1989年頃かと聞いています。 支払いが遅れるなんて「正常」な状態ではないですよね。しかし、長年そのような状態が続いたことで社員もその環境に慣れてしまい、それが当たり前になってしまっていたんです。 入社してその事実を知ったとき、正直「みんなおかしい」って思いましたよ。”異常”な状態が”正常”となっているんですから。
その影響か、職場の雰囲気も悪かったですね。社長の言うことは聞いている様で聞いていないし、平気で嘘の報告が上がってくる事もありましたよ。現場に行ってみると報告とは全く違う状況だったなんて事も。業務は今の倍以上の手間がかかっていましたし、社員たちのモチベーションはかなり低かったのではないかと思います。このような状況だったので、辞めていく社員も多かったです。
――市川社長が最初に所属されたのは、経理部だったそうですね。
市川: はい。そもそも、社内で誰も負債の総額を把握していない状況だったので、まずはそれを整理し、借金を返済するために経理部に入りました。総額を出したのは入社から2年ほど経った、 忘れもしない2004年10月24日。その額は、延滞金抜きで約9億円にものぼりました。 この事実を知っていたのは、私と社長、経理部長の三人だけ。とても社員には言えませんでした…。
会社の「お金」は、営業などが外から持ってくるものと、中から外に支払うものがあります。当時の営業会議では、売り上げ目標を「●千万円です」と報告するのに、月末になると「話が流れました」「延期です」なんてことがよくありました。こちらは、その数字を元に借金の返済計画を立てているのに、当てにならないわけです。そこで、まずは中にあるお金を外に出さないという事を徹底しようと決意したのです。
当時は創業から30数年経っていたこともあり、よくよく調べると長年の間にムダなものが積み重なっていました。例えば、昔からの慣習で読まない新聞を取り続けていたり、亡くなった社員の生命保険を払い続けていたり。銀行の根抵当もありましたね。 中でも一番驚いたのは、他の会社の電話機のレンタル費用を延々払い続けていたこと。 月々は数百円でしたが、総額は50万円以上に。そういったものを見つけ、少しずつ返済に回していきました。
――しかし、そのような状況で会社は成り立っていたんですか?
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