連載:第16回 リーダーが紡ぐ組織力
リーダーは自分の正しさに捕らわれるな。1億から60億への勝ち筋。社長が語る3つの要因
1910年に印刷の町工場として創業したチャンスメーカー株式会社。4代目の平林満さんが入社した1993年に9000万円だった年商は、2021年には63億円と大きく業績を伸ばしています。地方の町工場がどうしてここまで成長できたのか?その要因は3つに帰結すると語る平林さん。“名ばかり組織”が出来てしまったり、クーデターが起きたりと、決して順調ではなかったという同社の成長の過程を伺いました。
チャンスメーカー株式会社
代表取締役CEO 平林満さん
1970年生まれ。福井県吉田郡永平寺町出身。専門学校卒業後、大阪の印刷会社に就職。1993年、平林印刷株式会社に入社。2003年、代表取締役に就任。2019年、チャンスメーカー株式会社に社名を改称。
1億から60億の勝ち筋、3つの要因とは?
――貴社は1910年に平林印刷株式会社として創業し、街の印刷屋さんから業態を大きく変え、年商は60億・従業員も150名を超える企業へと変貌を遂げていますね。
平林満さん(以下、平林): 私が入社した1993年は売上9000万円、従業員10人程度の町工場でした。2021年度にはグループ合計で63億円を達成。2024年は100億を目指しています。
約30年かけてこれだけ成長できたわけですが、もちろん最初から順調だったわけではありません。入社当時はなんとか利益は出ていたものの、業績がいいとはとても言えない状況でした。その後、年商を1億から2億に伸ばすことはすぐにできましたが、2億から3億に伸ばすには10年の歳月を要しています。業態転換についても、「業態をかえるぞ!」と意思決定したわけではなく、自社の生き残る道を模索し続けた結果です。
組織についてもたくさんの困難に直面してきました。“名ばかり組織”ができてしまい、社内で重要なポジションの人材が次々と去っていく「クーデター」とも呼べるような事態が起きたことも…。
――さまざまな困難を乗り越えて今、貴社の成長要因についてどのようにお考えですか?
平林: そうですね。振り返ると、業績を伸ばせない状態から抜け出し、会社が成長できた要因は3つに帰結すると考えています。
それがこの3つ、
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