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連載:第11回 アトツギが切り拓く、中小企業の未来

祖父から続くお菓子屋を飛躍させた手腕 事業を継いだ3代目が変えたものと守ったもの

BizHint 編集部 2022年9月12日(月)掲載
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1954年創業の菓子製造販売業者「鎌倉紅谷(かまくらべにや)」。クルミを贅沢に練り込んだ自家製キャラメルをバター生地で挟んで焼き上げた 「クルミッ子 」をはじめ、古都・鎌倉を代表する銘菓の製造販売元として知られています。味は申し分なしだった同社の菓子は、創業者の孫として事業承継した3代目・有井宏太郎氏によって知名度を飛躍的にアップさせました。

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株式会社 鎌倉紅谷
代表取締役 有井宏太郎(ありい こうたろう)さん  

1979年生まれ。英語の専門学校とイギリス留学を経て、2001年、22歳で合資会社 紅谷(現、株式会社 鎌倉紅谷)に入社。2003年に専務となり、2008年に代表取締役に就任。


父が成しえなかったことを実現したい、事業承継は「当たり前」

――有井さんは3代目として事業承継されたわけですが、家業を継ぐことに関してはどのように考えていましたか。

有井宏太郎さん(以下、有井): 当社は現在、菓子の製造・販売に関係する事業のみですが、創業者の祖父と父はかつて飲食店とホテルも経営していました。それで、私も小学生の時は店で皿洗い、高校生になったらベッドメイキングや菓子製造も手伝っていて、幼い頃から家業は当然継ぐものだと考えていました。

そうした意味では、父の「事業承継プロモーション」が巧みだったのかもしれません。例えば、私の友人が家に遊びにきた際には、父が自社製のお菓子を振る舞ってくれる。友人が「おいしい」と言ってくれると、それを見ている私もうれしくなって家業への思い入れが強まるわけです。ほかにも、工場の職人さんたちと関わらせてくれたり、幼い頃から業界団体の懇親会に連れて行ってくれたり。

印象に残っているのは、妻とまだお付き合いしていた時のことです。前述した懇親会に「彼女も一緒に来るか?」と父が提案してくれました。そこで妻と私も一緒に行こうとしたのですが、いざ申し込むと妻は会員ではないからと断られてしまいました。それを聞いた父が「じゃあ俺も行かねえ」「将来、一緒に仕事をしてもらう人だから関係者だろ」と怒り出して…。断られて当然ですが、一方で、父がそうやって怒ってくれるのは、私からすると非常にうれしかった記憶があります。

創業当時の鎌倉紅谷の店舗、当時は「あじさい」という菓子が売れ筋だった(株式会社鎌倉紅谷 提供)

――先代から、会社を継ぐように直接言われたことはあるのでしょうか。

有井: 強く迫られた覚えはありません。ただ、きょうだいは姉と私だけですし、父としては、私が生まれた段階で跡を継がせようと考えていたとは思います。また、私は父が40代後半の頃に生まれた子どもなので、今思うとできるだけ早く継がせたかったのではないでしょうか。他社の場合、別会社さんで修行してから家業を継ぐことが多いと思うのですが、私の場合はそれがありませんでした。

いずれにせよ、継ぐようにプレッシャーをかけられた覚えはないものの、父のふだんからの振る舞いを目にして、私は父の魅力や人間性にすっかり惚れ込んでいたというか。この人のためにちゃんと事業承継して、父がやりたかったことや成し遂げられなかったことをしたいと。それは「鎌倉紅谷の価値をより多くの人に伝えること」だと考えていて、できるのは自分しかいないと、自然と思うようになっていました。

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