連載:第26回 躍進する企業の転換点
中国出身社長が貫く3つの信念。2年で年商150億の組織づくり
「仕事の仕方を教えられたことはなかった」「自分は背中を見せることしかできなかった」と語るのは、わずか2年で年商150億円を達成した株式会社A. GLOBALの金松月(きん しょうげつ)社長。高級美容機器などの製造・販売で、国内のみならず、中国・韓国はじめ世界に展開しています。金社長は常に「誰も仕事を教えてくれない」状況に飛び込みながら、いつしか海外事業の責任者に抜擢され、はじめて部下を持ちます。そしてリーダーの経験がない中で、事業を大きく前進できた理由を「自分が部下に育てられたから」と語ります。起業直後の黎明期、いわゆるブラックな環境下であっても社長や社員が目標に邁進できた理由や、実体験から辿り着いた組織づくりの要諦について聞きました。
株式会社A. GLOBAL
代表取締役 金 松月さん
中国吉林省出身。中国で高校卒業後、白鳳女子短期大学へ留学。朝日大学へ転入後、帰国・結婚のため中退。再来日し、フリーランス通訳などを経て2016年ARTISTIC&CO.入社。2021年ARTISTIC&CO. GLOBAL代表取締役に就任。著書『経営を成功させる”運”の磨き方』(クロスメディア・パブリッシング)。
※株式会社ARTISTIC&CO. GLOBALは、2023年9月より株式会社A. GLOBALに社名変更
日本ではがんばった分だけ評価してもらえる
――中国のご出身とのことですが、どのような経緯で日本へ来られたのでしょうか?
金 松月さん(以下、金): 私は中国・吉林省の貧しい地域に生まれました。実家は農家でしたが、大豆やトウモロコシをいくら作っても、単価が安すぎて稼げませんでした。そんな家の窮状から、私は中学に行くことはあきらめていました。中学の教科書代が出せなかったからです。しかし、小学校の先生がお金を出してくれて、中学に行くことができました。
私は中学に入ると、高校を卒業して日本に留学することを目指すようになりました。日本の学校に通い、学びながら働こうと考えたのです。当時、私の育った地域では農家か教師、もしくは看護師しか仕事がなく、それらの仕事には就きたくなかったからです。ですので中学・高校時代は、日本への留学費用を稼ぐために勉強よりもアルバイトに力を入れ、ワープロ作業やその講師、家庭教師などを掛け持ちして、とにかく働きました。
日本への留学資金は約100万円。すべてを貯めることはできなかったのですが、両親が村の人に頼んでお金を借りてくれて、なんとか日本の短期大学に留学できました。
――日本に留学されて、いかがでしたか?
金: 日本に来て強く感じたのは、
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