連載:第3回 躍進する企業の転換点
中小企業の生死は運と悟った3代目の家業の継ぎ方、貫くのは完全能力主義
最大95%という驚くべき節水率を発揮するノズル「Bubble90」を生み出した株式会社DG TAKANO。家業の金属加工工場から技術と機械だけを受け継ぎ、たった一人で創業したベンチャー企業は、今では従業員の半数が海外出身という世界中から注目される企業の一つに急成長を遂げています。世界屈指の技術力を誇りながら、それを「売れる製品」へと結びつけられない企業も少なくない中、DG TAKANOはどのようにそのハードルを乗り越えたのでしょうか。また、それを可能にしたチームづくりに対する考え方とは。代表取締役(CEO)の高野雅彰さんにうかがいました。
株式会社DG TAKANO
代表取締役(CEO) 高野 雅彰さん
1978年大阪府東大阪市生まれ。 神戸大学経済学部卒業後、IT関連会社に就職。3年後に独立し、節水ノズルの開発に取り組む。2009年、節水洗浄ノズル「Bubble90」を完成させ、「“超”モノづくり部品大賞」に輝く。2010年に株式会社DG TAKANOを設立。「世界を節水する」をコンセプトに世界中で製品の販売、事業展開を行い、日本で最も注目を浴びるベンチャー企業の一つとなった。
家業が潰れるか、存続できるかは運次第!?
技術や設備など企業の一部だけを承継する「ベンチャー型事業承継」。このベンチャー型の事業承継は「今の会社のここしかいらない」というケースでワークすると思います。例えば、「経営者の言うことを聞かない社員が多い」とか、「工場があるせいで移転できない」などの「負の遺産」は捨てて、自分がやりたいことに対してプラスになる部分だけを受け継いで起業することができます。
僕が創りたかったのは「事業」ではなく「会社」でした。だから逆に言うと事業は何でもよかった。もちろん完全に何でもいいわけではなく、とにかく世の中にないものを生み出したいと思っていました。それがモノづくりであれば工場で造ってもいいし、アプリであればITのチームを組織すればいい。“ゼロ・イチ”で何かをつくりたかったんです。
でも、中小企業の2代目・3代目は、ほとんどがそのまま会社を継ぎます。会社の中で新規事業を立ち上げることはあっても、その技術や有形無形の資産を引き継いでベンチャーを立ち上げるというのはリスクに見合っていません。「そんなことをしなくても今の会社でできるじゃないか」と。
そもそも、家業の金属加工工場を継ぐことには魅力を感じていませんでした。僕が小学生の頃がバブル景気で、中学生になると同時にバブルが弾け、そこから大阪はずっと景気が悪いままです。周りの中小企業がどんどん倒産・廃業していったのを目の当たりにしてきました。しかも、会社が潰れるか生き残るかは技術力の差ではない。たまたまこの業界の下請けをしていたから潰れたし、たまたまこの業界の下請けをしていたから生き残ったというだけ。
中小企業の社長さんたちが時代の流れを読むのは難しいし、未然に手を打つのはもっと難しい。つまり、死ぬか生きるかは運と感じていました。努力じゃない。実家の近所には故小渕恵三総理大臣も視察にきた東大阪市を代表する工場がありました。でも、潰れてしまった。手掛けていたのはテレビのブラウン管です。現在では、ブラウン管テレビにかわり液晶テレビが登場し、有機ELが主流になっています。つまり、圧倒的な技術力があっても関係ない。そんな風に感じながら育ってきました。
かといって、僕はサラリーマンにも魅力を感じていませんでした。ですから、「起業しか無い」と学生の頃から思っていましたね。
「いいものをつくれば一番になれる」と節水事業に参入
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