連載:第3回 社史から探る 大企業の転換点
社長解任の連続。3度のクーデターにも揺らがないノーリツ「卓越したビジネスモデル」の強さ
業界を代表する大企業の成長過程における「ターニングポイント」を探る企画。第3回はノーリツです。公式の社史には記されていない3度のクーデター劇で経営体制が度々混乱に陥ったにも関わらず、なぜノーリツは社業が傾くことなく成長を重ね一部上場を果たせたのか?「創業間もなく完成させた秀逸なビジネスモデルが、会社をこれまで生き残らせた」と社史研究家の杉浦泰さんは語ります。
創業社長に解任動議!3度のクーデターでも揺るがなかったノーリツ
――「The 社史」を運営する社史研究家の杉浦泰さん(著書:20社のV字回復でわかる「危機の乗り越え方」図鑑)に、大企業のターニングポイントを聞く連載。第3回目はノーリツを取り上げます。テーマは「ビジネスモデル」です。
今回取り上げるのは給湯器製造のノーリツです。ノーリツの歴史は、見方によっては「血なまぐさいクーデターの歴史」だとも言えます。一方で、 「会社とは誰のものか?」という命題 を考える上でとても興味深い会社なんです。
ノーリツでは1951年の創業以来、これまでにクーデターが3度も起きています。創業者である太田敏郎氏はクーデターによって失脚してしまい、その後2度の逆クーデターを経て社長の座を奪還しています。そういった混乱があったにも関わらず、ノーリツは順調に成長して東証一部上場、今日では時価総額約700億円を維持しています。
――3度のクーデターはどういったものだったのでしょうか?
その時々の社長の解任動議が3度出され、それぞれ承認されています。
1度目は1961年。当時の経理担当だった専務らが創業者である太田さんの社長解任の緊急動議を提出します。この結果、太田さんは社長の座を追われ、常務に降格します。それ以降1980年まで、18年にわたって創業者にも関わらず「一役員」という立場に甘んじることになります。
2度目の社長解任は1968年。1度目のクーデターで就任した社長が解任されます。このクーデターを仕掛けたのは太田さんのようですが、この時点では太田さんは社長に復帰していません。当時の専務が社長になっています。その理由については外部で参照できる資料が一切残されておらず、よくわかりません。
3度目は1980年。2度目のクーデターで就任した社長を解任して、創業者である太田さんが復帰するというもの。これにより、太田さんは18年の時を経て社長に復帰します。
太田さんは一連の出来事を振り返ってこう語っています。「自分は社長になって専務になって常務になった」「エレベータのように上がったり下がったり」「1961年に開発したアルミの風呂釜が大ヒットし、絶頂の極みであった。しかしそこに緊急の社長解任動議。社長を辞めてくれと。青天の霹靂であったが、役員は皆異議なしと。あっさり降格。その理由は、アルミの開発の後、取締役会を通さずに行ったプラスチック風呂釜の開発。プラスチックは革新的な素材であったがコストが合わずに大損害を出した。でも自分は気に留めなかった。自分が作った会社だから何をしても構わないと思っていた。知らないうちにワンマン社長となっていた」。
「社史が公に書けない会社」の社史が一番面白い
――そういったクーデターの歴史はノーリツの社史に書かれているのですか?
この記事についてコメント({{ getTotalCommentCount() }})
-
{{comment.comment_body}}
{{formatDate(comment.comment_created_at)}}
{{selectedUser.name}}
{{selectedUser.company_name}} {{selectedUser.position_name}}
{{selectedUser.comment}}
{{selectedUser.introduction}}
バックナンバー (3)
社史から探る 大企業の転換点
- 第3回 社長解任の連続。3度のクーデターにも揺らがないノーリツ「卓越したビジネスモデル」の強さ
- 第2回 時価総額1.9兆円、営業利益率51%超。オービック「採用は新卒のみ」の歴史的必然
- 第1回 ホンダの2度の倒産危機・復活に凝縮される、本田宗一郎の真の凄さ