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連載:第4回 老舗を 継ぐということ

先代からバトンを受け継ぎ、時代に合わせ、やり方を変えながら、次世代へとつなぐ【八芳園・長谷晴義社長】

BizHint 編集部 2019年8月5日(月)掲載
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親から子へ、あるいは同族同士で事業を承継する際に、 後継者がいない、あるいは、いてもスムーズに承継することができないといった悩みをよく聞くことがあるが、八芳園の場合はどうだったのだろうか。 3代目となる長谷晴義社長に話を聞いた。

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株式会社八芳園代表取締役社長

長谷晴義氏

1977年、東京都生まれ。2002年、株式会社八芳園入社。各事業の中枢を担ったのち、2015年に代表取締役就任。婚礼から派生する新事業として、結婚を機に顧客と生涯にわたり継続的な関わりを持つ「生涯顧客事業」をスタート。 昨今急激な増加を見せる訪日外国人へも、日本各地の伝統文化や職人らとコラボレーションしたさまざまなイベントを企画・発信している。


会社を継ぐにあたって父に出したひとつの条件

東京白金台にある八芳園は、約1万2000坪の広大な敷地に広がる日本庭園だ。この地に株式会社八芳園が創業したのが1943年。樹齢数百年の樹木や、渡り鳥の姿が見え、自然との調和を守りながら、75年がたった今も、結婚式やさまざまな宴会、パーティなどで、年間45万人以上もの人が訪れる場所となっている。

現在、代表取締役社長を務める長谷晴義(はせはるよし)氏は、この八芳園の創業者である長谷敏司(としつか)を祖父に持つ3代目。2015年に父・収(おさむ)氏から代表権を譲られ、リーダーとして八芳園を牽引するようになって4年になる。

「僕にとって八芳園は、子どもの頃は庭みたいなものでしたね。学校帰りに立ち寄って遊び、父と一緒に帰宅することもありました」

 そんな中、周囲、特に収氏から「いずれは会社を継ぐように」と言われたことはなかったのだろうか。

「父から、はっきり言われたことはないんですよ。ただ、こういう環境に育ったので、必然的に将来は自分がここを継ぐのだろうなとは思っていました」

 学生時代には配膳などのアルバイトで八芳園に入り、以前は自分の庭だった所が、仕事の場となる。

「その時はアルバイトですから、会社の内情などはよくわかりませんでしたけど、うちの会社がやっていることは、こういうことなのだな、と身を以て知りました」

 大学を卒業後、2年間のアメリカ留学を経て2002年に八芳園に入社。収氏から何をしたいのかと訊かれ、とにかく自分の目で見てみなければわからないと考えた晴義氏は、2年半さまざまな現場を経験する。

「今現場で起きていることを知ろうと思って、いろいろなことを一緒に働くスタッフの皆さんから教えてもらいました」

 そんな経験を経て約13年後、今度は代表取締役のバトンを受け継ぐのだが、戸惑いなどはなかったのだろうか。

「父が70歳になったら、代表権は僕に譲るという話は前からありましたので、心の準備はできていました。ただ、譲られるからには、成功するようにしなければいけない。そのためにはどうしたらいいかは、よく考えていましたね」

晴義氏が代表権を継ぐに当たって、 まず第一に収氏に要望したのは、「自分以外の親族を会社に入れないこと」 だったそうだ。確かに同族会社では、兄弟や親族間で争いが勃発するというのはよく聞く話だ。晴義氏が挙げたことは、これからより良い会社を作っていくためには必須の条件と言える。

「海外に行ってMBAを取ってきたとか、銀行に就職して勉強してきたなどという後継者が事業を継ぐと、当然銀行と現場とではやり方が違うので互いに相当な歩み寄りをせねば、軋轢を生みかねない。そうならないためにも、現場の声をよく聞くようにしています。わかっていることでも、あえて訊いてみることもありますよ。いろいろな人に同じことを尋ねると、答えが違うことがあります。それはつまり、仕組みがきちんと機能していないということ。だから何か方策を講じる必要があるということだと思うのです」

父とは密にコンタクトを取り最終的な判断は自分で

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