連載:第8回 経営危機からの 復活
2回の閉院を乗り越え、働きやすい病院が生まれた。「経営の無知」を自覚した開業医が徹底的に意識したこと


兵庫・西宮を中心に、耳鼻咽喉科、小児科、消化器内科など計8つのクリニックを運営する「梅華会」。近年、毎年のように新規開業を続けています。就業時間に柔軟性を持たせ、企業内保育園を開設するなど、クリニックで働く女性の働きやすさを追求。「スタッフを大切にする」経営は他の医療機関とは一線を画します。しかし、そこに至るまでには『2回の閉院』という大きな挫折がありました。部下のマネジメントに問題のあった父と同じ過ちを繰り返し、医師が経営者になることの難しさを痛感してなお、「医師×経営者」として日本一のモデルクリニックを追求する梅岡比俊理事長に話を聞きました。

【プロフィール】
医療法人 梅華会
理事長 梅岡比俊さん
兵庫県芦屋市出身。奈良県立医科大学を卒業後、勤務医を経て2008年に兵庫県西宮市に梅岡耳鼻咽喉科クリニックを開設。耳鼻咽喉科、小児科、消化器内科など、合計8つのクリニックを経営。2016年に開業医がより良いクリニック運営を行うための学びの場としてM.A.F(医療活性化連盟)(https://maf-j.com/)を発足する。最新著書は『12人の医院経営ケースファイル)』(中外医学社)。働き方改革を実践。権限委譲を進め、与えられた役割だけに集中することに成功。家族との時間を大切にしている。趣味はトライアスロン、読書、国内外旅行。
スタッフが次々と退職。気付けば、父と同じ道を辿る
ーー医師でありながら、経営者になりたいと思われたのはいつ頃ですか?
梅岡比俊さん(以下梅岡): 父も経営者でしたのでその影響もあったと思いますが、医学部に入る頃にはいつかは開業しようと思ってました。大学で耳鼻科の研修医になり、修行して、2008年に自分が生まれ育った町、ここ阪神エリアで開業しました。
ーー開業・クリニックの運営にあたって、どのような点に苦労されましたか?
梅岡:やはり「人材マネジメント」ですね。 医師としては与えられた環境で自分の仕事だけをしていれば良かったのですが、クリニック開業後は人材についての課題に直面しました。 スタッフを雇い、組織化する上で必要なことを僕は何も知りませんでした。 スタッフが次から次に辞めていくのですが、彼ら、彼女らが辞める理由が僕自身にあることに気づきもしませんでした。
例えば、スタッフに何の断りもなく「患者さんのために」と診療開始時間を9時半から9時に早めたことがあります。ところが、スタッフはクリニックと9時半から診療開始という契約をしているわけですよ。契約と違う要求をしていることももちろんですが、その朝の30分、パートのスタッフは家事などをやっていたと思います。ですが、僕はそんなことにも気に留めず「患者さんのために良かれ」と勝手に時間を変更したんです。本当に、 マネジメントのかけらもなかった と思います。
ーー梅岡さんが経営者として変わったきっかけは何でしたか?
梅岡: 開業後4、5年経った頃、僕は 部下のマネジメント方法に問題のあった父とまったく同じ道をたどっていることに気付いた んです。父は会社を経営しており、部下が5人ほどいました。バブル前で、利益もすごく出ていたので、本来は組織としてもっと大きくなれたのかもしれませんが、父には問題があったと思います。父は家でよく部下の悪口を言っていました。僕が父の会社に遊びに行く度、従業員が変わっていました。部下の悪口を言っても何も改善しないのに……と思いましたし、もっと色々な人の協力を仰ぐべきじゃないのか?と。父には何度も言いましたが全く耳を傾けてくれず、父のような「部下の意見を取り入れない経営者にはなってはいけない」と思っていました。それなのに、僕は父と同じ過ちを犯していたのです。
僕は10年間、耳鼻科医として力をつけ、自分の技術には絶対の自信がありました。その結果、父と同じように、 スタッフに自分のやり方を押し付けていた のです。 僕なりにいろいろと考えた結果、これは引き寄せだなと。野口嘉則氏の『鏡の法則』にもいらないことも引き寄せちゃうと書かれていますよね。「父のようにはなりたくない」と僕は念じ過ぎて、逆に引き寄せてしまったと思ったんです。
医師は話を聞かない。マネジメントの無知からクリニックを2回閉院
ーー開業当時のご自身や、開業医にアドバイスしたいことは何ですか?
梅岡:「人の話を聞くこと」です。これに尽きます。 松下幸之助さんは毎日寝る前、朝起きる時に「もっと素直になれますように」と願っていたそうです。あの松下幸之助さんでさえも日々意識するくらい大切で、かつ難しいことなんです。 「人の話をどれだけ聞けるか」が大切だと、開業当時の僕に言いたい ですね。
誤解を恐れずに言えば、 そもそも医師は話を聞きません。 いや、本当に話を聞かないんです(笑)。これは病院独特のヒエラルキーに原因があると思います。医療スタッフがいて、その上に看護師がいて、その上に医師がいる。医師は常にヒエラルキーの頂点にいて、お山の大将になりやすいんです。また、医師は地頭も悪くありません。医学部に入り、研修医になり、世間からは先生、先生とちやほやされます。そんな環境に長くいて、果たして人の話を素直に聞けるかどうか。 「人の話を聞くことは大事」と言うのは簡単ですが、これを医師が実行するのはめちゃくちゃ難しいと僕は思っています。 だからこそ、松下幸之助さんのように、 常に、徹底的に意識することが大事 なんです。
ーークリニックの経営でピンチになったことはありますか?
梅岡: 過去に2回、クリニックを閉院したことがあります。1回目は院長とスタッフとの軋轢から、院長が「明日から行きません」と突然辞め、後任が見つかるまでの3か月くらい閉院しました。患者さん全員への連絡が大変でした。
2回目は院長との2年契約が切れ、僕が後任を探せなかったことが原因です。1年2か月くらい閉院せざるを得ませんでした。周囲にはクリニックを売れと言われましたが、売りたくなかった。他のクリニックの収益もあり閉院分はカバーできましたし、なにより、どんな事業も右肩上がりばかりじゃないと思っているんです。三歩進んで二歩下がる、といった具合に。
続きを読むには会員登録(無料)が必要です全ての記事が無料で読めます
バックナンバー (11)
経営危機からの 復活
- 第11回 9億円の負債を抱えても「絶対に解雇しない」。下町の2代目社長は会社をどう立て直したのか
- 第10回 看護師200名中60名が離職。医療法に翻弄される地方病院の人材施策
- 第9回 火災で工場が焼失、2代目の町工場社長はどうピンチを乗り越えたか
- 第8回 2回の閉院を乗り越え、働きやすい病院が生まれた。「経営の無知」を自覚した開業医が徹底的に意識したこと
- 第7回 離職率40%から8%への道のり、組織崩壊の状態からグッドパッチが立ち直れた理由
この記事についてコメント({{ getTotalCommentCount() }})
-
{{comment.comment_body}}
{{formatDate(comment.comment_created_at)}}
{{selectedUser.name}}
{{selectedUser.company_name}} {{selectedUser.position_name}}
{{selectedUser.comment}}
{{selectedUser.introduction}}
続きを読むには会員登録(無料)が必要です全ての記事が無料で読めます
この記事もあなたにオススメ
-
8割の社員が辞めても貫いた後継者の覚悟 〜創業200年の老舗が起こした改革20年史〜31
BizHint 編集部
-
6億円の借金を継いだ「職人」による会社再建。「二度と元に戻さない」決意で敢行した、異例の待遇改善11
BizHint 編集部
-
離職率40%から8%への道のり、組織崩壊の状態からグッドパッチが立ち直れた理由1
BizHint 編集部
-
看護師200名中60名が離職。医療法に翻弄される地方病院の人材施策
BizHint 編集部
-
9億円の負債を抱えても「絶対に解雇しない」。下町の2代目社長は会社をどう立て直したのか1
BizHint 編集部
-
火災で工場が焼失、2代目の町工場社長はどうピンチを乗り越えたか1
BizHint 編集部
-
「何もわかっていない! 従業員が可哀相だ」と言われて気づいた経営者の覚悟
BizHint 編集部
-
採用面接で本音を見極めるには「〇〇〇を与える」に限る。アメリカ人社長が日本人採用で用いる評価基準が興味深い61
BizHint 編集部