はじめての方はご登録ください(無料)会員登録
search

戦略・経営

2019年2月26日(火)更新

元祖あんぱん・木村屋總本店7代目、木村光伯さんの経営哲学は「ボトムアップを大切に」

Logo markBizHint 編集部

プロ・リクルーター、河合聡一郎さんによる事業承継の成功のヒントを探る連載。今回お話を伺うのは、株式会社木村屋總本店 代表取締役社長、木村光伯さんです。明治2年に日本初のパン屋を創業し、あんぱんを考案したことでも知られる木村屋總本店。木村さんは創業家の家系に生まれ、2006年に28歳という若さで7代目社長に就任しました。日本のパンの歴史を切り拓いてきた老舗の”のれん”と、伝統ある「キムラヤのパン」の味を受け継ぐ覚悟とは。前半では経営再建を経て得た気づきと、ご自身の経営哲学について伺います。

コメントを読む
メインビジュアル

株式会社 木村屋總本店 

代表取締役社長 木村光伯さん

2001年、学習院大学経営学科卒業後、家業である木村屋總本店に入社。02年に日本パン学校で、翌年にはアメリカに留学してパン作りを本格的に学ぶ。05年に取締役、06年に常務取締役に就任。同年、7代目社長となる。


4期連続赤字状態で7代目を引き継ぐ

河合聡一郎さん(以下、河合): 木村屋總本店といえば、あんぱんやジャムパンの発明に代表されるように、日本に「パン」という新しい食文化をもたらした草分けというイメージがあります。会社は創業以来、創業家の方々が代々事業承継されていますが、木村さんご自身も幼少期から「いつかは社長になる」と思っていたのでしょうか?

木村光伯さん(以下、木村): 学生時代から父から「会社に入れ」と言われていたこともあって、いつかは会社を継ぐだろうと意識はしていました。私自身も、学生時代からアルバイトで木村屋の工場で製造ラインに立って、その当時から現場の人には可愛がってもらいました。そのまま大学卒業後に木村屋總本店に入社して、5年後に社長に就任しました。

河合: 木村さんは他社を経験しておらず、キャリアとしてはいわば木村屋一筋です。もちろん経営者としての経験も初めてだと思いますが、社長としての心構えはどのようにして身につけていったのでしょうか?

木村: 就任当初は社長になった実感もないまま、というのが正直なところです。当時会社は4期連続で赤字が続いている状況。現場でパン作りの経験を積むことにも興味はありましたが、まずはいかに業績を回復させるかが急務でした。

私の場合、まずたくさんの先輩経営者の方々にアドバイスを聞いてまわりました。その時に教わったことがやはり「社長としての心構え」が大切だということ。例えば、 日本製粉の澤田浩会長からは「覚悟と心構え。自分で軸を持ちなさい」というアドバイス をいただきました。 アサヒビールの故中條高徳さんからは自分一人でも行いを慎む「慎独」という言葉を 教えてもらいました。この2つの言葉は今でもとても大事にしています。

河合: 家業は創業150年という歴史を持つ老舗企業。そんななかで、就任早々に経営再建という重要な課題を任される。重責を背負うことに対してプレッシャーはなかったのでしょうか。

木村: その当時はプレッシャーよりも、会社を建て直すことへの使命感の方が強かったかもしれません。代々受け継がれてきた歴史をここで止めるわけにはいかない。工場閉鎖やリストラなど、苦しい経営判断を下さなければならない局面もありましたが、その思いがあったからこそやって来られたように思います。

河合: その後、経営改革を経て黒字回復を果たされました。組織に関してはどのような取り組みを行ってきたのでしょうか。

木村:黒字化した頃に社内でアンケートを実施しました。すると驚くことに、社員からは「将来の展望が見えない」といったネガティブな回答が多く寄せられた んです。業績が回復して「さあこれからだ」と思っていたら、大切な社員が疲弊してしまっていた。マイナスをゼロにするよりも、ゼロからイチを生み出すことの方が難しい。経営者としてのプレシャーを感じ始めるようになったのはこの頃からです。社員一人ひとりがやりがいを感じられる職場にしなければならない。そう考えるようになりました。

社員のモチベーションを引き出す「食で感動を繋ぐ」

この記事の関連キーワード

フォローボタンをクリックすると、キーワードをフォローすることができます。

キーワードについて

注目の人物

最近記事コメントに支持を集めている人物

目次