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連載:第22回 プロ・リクルーター、河合聡一郎さんが聞く【事業承継のカギ】

富士そばは「仕事に困っている人」の受け皿企業でありたい【富士そば・丹有樹社長】

Logo markBizHint 編集部 2019年9月30日(月)掲載
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首都圏のビジネスマンにとってはおなじみの立ち食いそばチェーン「名代 富士そば」を展開する、ダイタンホールディングス代表取締役社長の丹有樹さん。創業者である父の跡を継いで29歳で二代目として入社します。 富士そばは競争が激しい飲食業界において、年々店舗数を拡大し現在では国内外合わせて150店舗になるなど堅実な成長を遂げています。「無理に会社を変えない。いい流れを受け継ぐことが大事」と語る、二代目の経営戦略とは。

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ダイタンホールディングス代表取締役社長

丹有樹さん

1974年神奈川県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。大学卒業後、テニスコーチとして働きながら国内ツアーを転戦。プロテニス日本株式会社の立ち上げに参加し、その後立ち食いそば「名代富士そば」を展開するダイタングループに入社。二代目として活躍。


富士そばの二代目社長、これまでの「流れ」を大切に

河合聡一郎さん(以下、河合): まずは、丹さんのご家業を継がれるまでのご経歴を教えていただけますか?

丹有樹さん(以下、丹): 子供のことからずっとテニス漬けで、大学の時にテニスコーチのアルバイトをしていました。卒業を前にして、就職しようかと考えた時にコーチから「テニスの世界で上れるところまでやってみたら?」とアドバイスをもらい、家業ではなく、テニスコーチの道に進みました。そこからテニスのイベントを企画するベンチャーを立ち上げました。

その時にも当時のコーチは、「お前は将来いずれ家の会社を継ぐんだし、創業する経験をしてみたらいいんじゃない?」といってくれて。5年ほどいて2003年に29歳で富士そばに入社しました。

河合: テニスの世界に長くいらっしゃって、その後にベンチャー企業の立ち上げとご経験の幅が広いですね。いわゆる会社員としての勤務経験もないなかで、起業してからの会社創りはどうされたのでしょうか。

丹: 正直、右も左もわからない状態でした。創業時にも、1億円以上の出資を約束してくれていたスポンサーがつぶれてしまい、大赤字からのスタートでした(笑)。メンバーはみなテニスコーチとして生徒を受け持っていましたから、昼間はテニスコーチとして当座の生活資金を稼ぐ。夜中に会社の打ち合わせや事務作業を行う。テニスの国際大会を企画・運営していたのですが、お金もなかったので、会場設営やコート張りも自分たちでやっていましたしね。とにかく働いていました。

河合: まさにベンチャー企業感が溢れる感じですね! その当時、先代社長出るお父様とはどんな会話をされていたのでしょうか?

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