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連載:第11回 中竹竜二さんが聞く「伸びる組織」

金、銀、銅、そしてドクロコインを社員同士で送り合う!? 寺田倉庫前社長の組織論

BizHint 編集部 2021年8月6日(金)掲載
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東京湾のウオーターフロントである天王洲アイル地区に拠点を置く寺田倉庫。従来の倉庫業を見直し、売り上げの縮小もいとわずに大胆な事業再編を行い、世界中の芸術作品や、高級ワインを預かるプレミアム倉庫のスタイルへと転換し、キャッシュフローを重視する経営へ改革を進めたのが元 寺田倉庫社長兼CEOの中野善壽さん。そんな中野さんの組織作りについて中竹竜二さんが聞いていきます。

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元 寺田倉庫社長兼CEO、東方文化支援財団代表理事
中野善壽(なかの・よしひさ)さん

1944年生まれ。弘前高校、千葉商科大学卒業後、伊勢丹に入社。1973年鈴屋に転職。1991年、台湾で力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問及び亜東百貨COOを勤める。2010年に、寺田倉庫のオーナー寺田保信氏からの声掛けで寺田倉庫入社。1年後の2011年、社長兼CEO。会社の事業再編と本社周辺の天王洲エリアの再開発を手掛けてきた。2019年6月、寺田倉庫退社、2019年8月、東方文化支援財団を設立し、代表理事となり現在に至る。


中竹竜二さん(以下、中竹): やっとお逢いできました。これまで、いろんな人たちから中野(善壽)さんの話を伺っていました。

中野さんは日本や台湾で数々のビジネスに従事されてきましたが、2011年、66歳の時に天王洲の大手倉庫会社である寺田倉庫の社長に就任された。経営的に厳しかった同社を大胆な変革で蘇らせました。その激変ぶりは、天王洲アイルの本社、周辺の倉庫街がアートの街に変わったことからも伺えます。でも、2019年、社長職を辞められるまで、中野さんがメディアで経営について語られたことが少ないと聞いていました。なので、今日は愉しみです。 早速なのですが、これまで数々の事業に携ってきた中野さんがどうして寺田倉庫のマネジメントを引き受けたのでしょうか?

中野善壽さん(以下、中野): 寺田倉庫の2代目社長だった寺田保信さんと僕は当時30年来の友人だったんです。それまで、僕は台湾を拠点にしていたのですが、「そろそろ日本に戻って、本格的に仕事を手伝ってくれないか」と言われたのです。

自由こそが大事な価値観

中竹: 2代目オーナーが中野さんに依頼したのは何故だと思いますか。

中野: 寺田倉庫は1950年創業の歴史ある倉庫会社です。主な事業は倉庫業と不動産業。当時は、1000人以上の人たちが働いていました。ただ、規模は大きいものの、事業の収益率が低下する一方。さらにこの先どうなるか……。これだけの人数を抱える未来が描けませんでした。そこで、本当の意味での「リストラクチャリング」、つまり「新しいビジネスを生み出す事業体への再構築」を望まれていました。

僕は「やるなら誰にも口は出されたくない。自分の自由にやらせてほしい。それでもいいですか?」と言いました。そして「僕を1年間、社員として雇ってほしい。その間は無給でいい。それでも、その間で実績を出すので、その時に決めてもらいたい。もし、その時、ダメならクビにしてもらいたい」と言いました。

中竹: 中野さんがそう言えたのは、自分のやり方に自信があったからですか?

中野: いやいや。自信があったわけじゃありません。僕は人から「ああしろ、こうしろ」と言われたくないのです。サラリーマンだと我慢した対価が報酬という人がいますが、僕は違う。限りある人生、自分自身に従って実行できる「自由」こそが、一番大事な価値、僕にとっての最優先事項なのです。

中竹: 中野さんの「自由」というのは、単に「勝手気まま」という意味ではなく、自分が考たことを実行できる、という意味ですね。

中野: ええ。制約がないことです。僕は台湾の貸家を拠点にして、世界中を移動する生活を続けていました。日本に来るのは「週に2日」。すぐにほかに移動できるよう大きなスーツケースは持ち歩きません。服など必要になったものは旅先で買えばいい。持ち歩くものが少ない方が良いんです。日常生活もそう。家もクルマも高級な時計も要らない。僕には所有したいと思うものがないんです。

中竹: なぜ、そういった考え方、生活をするようになったのでしょう。

中野: 子どもの頃から「人間って、何のためにいるのか」と考えてきました。この疑問に応えるべく先人たちが宗教や文化を育ててきたわけですが、僕なりに考えてきた結論としては、「何のためにいるのか」と言えば、「今を生きるためであり、せめて明日まで生き残るため」なんですね。

今は生きていても、明日はいないかもしれない……。20代の頃からそう考えてきました。なので、今日すべきことは今日しなければならないと思っています。それに対して、何かを所有し続けるとか、何か執着したりするのは、「過去」に目が向いています。今のためにも、明日のためにも、生きてないんです。だから、なるべく所有するものは少なくしたい。一度買ったものも捨てていい。僕は、本とかも大量に読むのですが、一度読めば手放します。

中竹: なるほど。中野さんには好きなことってないのでしょうか?

中野: モノへのこだわりはありません。でも、人間は好きなんです。人と一緒にいるのは好きだし、一緒に何かをしているのが楽しい。好きな人が困っていれば助けてあげたい。仮に、仲間が何かやりたいのにおカネがないのであれば、おカネで支援してあげたいと思う。だから、20代から必要最低限のお金は残したうえで、それより多い金額はいつも寄付してきました。

朝令“朝”改は当たり前、社長の役割は鮮度の高い情報でジャッジすること

中竹: 相手を「支援したい」「あ、これはできない」と思う境界線というか、基準はどこにあるのでしょう?

中野: 正しいかどうか、です。僕は毎朝、起きて「今日一日、正しい行動ができますように」と願ってから出かけています。「正しさ」というのは時代、国・地域・場所、環境によって変わるし、過去からずっと一貫性があるものはありません。だから、過去の教えだけを遵守している宗教には興味はないんだけど、正しいことを実践できますようにとは日々願っています。

寺田倉庫の社長時代は、毎日朝5時に起きたら、その日やるべきことを仲間たちに連絡していました。この連絡でよく「中野さんは昨日こう言ってたじゃないですか」と言われることも多かった。でも、直後に別の情報が入ってくることもあるんです。だから朝、仲間に連絡した後に逆のことを伝えることもよくありましたね(笑)。

中竹: まさに「朝令暮改」ならぬ「朝令“朝”改」ですね。優秀な経営者の方々は、躊躇せずに朝令朝改をしますね。

中野: 社長の役割は、その瞬間その瞬間、一番鮮度の高い情報で早く正しくジャッジすることです。1分でも早く、相手に仕事を渡してあげること。これさえできれば、周りの人たちが作業できる時間が増えるし、結果的に全体のクオリティはアップします。社長が決断しないことは罪。決断を保留しているうちに時代遅れになります。

リーダーじゃない、あえて言えば、「文化系クラブの部長」

中竹: 中野さんは部下の方々にどんなアドバイスをするのですか。

中野: 教えません。組織を統率しようと思ったこともありません。誰もがみな対等な仲間なので、仮に10人いるチームの中で3人が「もう中野さんとは一緒にできない」というならば、さっさと辞めます。

僕は小学生から大学まで野球をやっていました。大学時代は日本代表の練習のサポートをしたことがあります。ですから「体育会系組織」の文化、ルールは嫌というほど分かっています。

その経験を踏まえて言えば、僕はリーダーでも監督でもないのです。あえて言えば、「文化系サークル」の部長。みんな好きなことがあって、自然と集まってきた仲間同士。そうした関係の中でこそ、僕は一番力を発揮できると思っています。最初に入った日本の大手百貨店は従業員1万人位いましたが、普段接していた人って10人ぐらいでしょう。寺田倉庫でも普段会う人たちも10人ぐらい。どんな組織だろうが、「10人のサークル」という感覚です。

そもそも大企業が苦しんでいる理由はどこにあるのか

中竹: なるほど。その感覚でも大規模組織の改革ができるのは何故ですか。

中野: 僕はリーダーではない。だけどオーナーが自由にやらせてくれたからでしょう。

そもそも大組織が苦しんでいる理由は何か。負債を抱えているから? それでも、儲からない仕事をやり続けているから? その結果、人々のやる気も失っているから? 

――いろいろありますが、要は、「負のしがらみを誰も断ち切ろうとしないから」でしょう。

この会社にやってきた僕の役割はその制約をまず払うことです。最初にやりたかったことが膨れ上がった業態を絞ること。事業売却。それからトップから20人ほどの社員には別に移ってもらうようにしました。

その一方で、これまで倉庫業とは縁がなかったアートやデジタル、飲食業界の人たちを積極的に採用しました。「自分でやりたいこと」がある人。「この人と働きたい」と思える人。「中野と一緒にやりたい」と言う人たちを採用しました。

中竹: なるほど。そのやり方に露骨に反対する人たちもいたのでは?

中野: 反対する人たちの多くは「反対すること」が目的。代案があるわけじゃなかった。僕は、「仕事が嫌だな」と思いながら働き続けることが本当に良いことなのかなと思っていました。会社にとっても、働く人たちにとっても、将来的に厳しいことが分かっている以上、どこかで決断する必要があります。この事業売却を進めた結果、最終的には社員数は10分の1以下になりました。

中竹: 制約を外した結果ですね。

中野: そのうえで、「こんなことやりたい」と提案してくる人たちには仕事を任せました。デジタルサービスやアート、飲食など新しいサービスを立ち上げていくことで、数年後には、社員一人当たりの収益性は8倍以上になりました。何をしたかと言えば、僕は「やりたい」という人たちに対して、「いいぞ、責任は僕が持つから、やっていいぞ」と言い続けただけです。

金、銀、銅にドクロ? 社員同士でメダルを交換

中竹: 中野さんから「最後は責任をもつ!」と言われたら、みんな、安心して好き勝手に走り出すでしょう。ただ、全員が好き勝手にやり始めると収拾もつきそうにもありませんが。

中野: 最初に着手したのが「評価制度」の導入です。この制度は、一言でいえば「360度評価」。部下から上司、同僚から同僚を評価する「金、銀、銅、ドクロ」のコイン制度です。

中竹: ドクロ? どんな制度ですか。

中野: 社員全員に金、銀、銅のコインと、ドクロマークが入った黒いコインを、何枚か配布します。そこで一緒に働く仲間たち同士で、「ありがとう」という感謝の気持ち、「素晴らしい」と素直に言いたい時にそのコインを渡すのです。渡す理由は何でもいいのですが、渡す時は誰かほかの人がいる前でやるのが唯一のルールです。

トップから入社したばかりの社員まで、みんなが挨拶代わりにやり取りをしています。なので、半年たつと、人によっては結構な数のコインが溜まります。そして1年に2回、金は一枚何円、銀は何円、銅は何円、そしてドクロコインはマイナス何円として精算します。多い人になると年間で100万円近くになっていました。

中竹: ドクロも使っているんですか。

中野: 部長やチームリーダークラスも普通に部下から貰っています。僕もドクロをもらいました。これは上司、部下にとっては気軽なコミュニケーションの道具。ドクロをたくさんもらっている上司は、考えようによっては、「部下が気楽に気持ちを伝えられる相手」という評価もできます。必ずしも悪い意味ばかりじゃない。

逆に、「上司を評価するなんて、できない」と付与されたドクロコインをため込んでいる人たちもいましたが、そういうメンバーは「真剣に仕事、相手と関わっていない」と評価しました。そんな人たちに対しては、僕からドクロを渡すこともありました。

中竹: 多くのコインをもらう人は、挑戦と失敗を繰り返している人とも言えます。逆に、「ドクロを貰いたくない」と気にしている人は金をもらう機会が減ってしまう……。活動とコミュニケーションを促す仕組みになっていますね。

社員からの自分への「期待値」は下げていきたい

中竹: 「コイン制度」は評価、ボーナス的な機能があると思いますが、ベーシックな給与に関してはどう決めていたのでしょう。

中野: 経営陣の「期待値」で給与を決めてました。だから、多くの人たちが、入社した年がそのランク内で一番高いんですよ。仮に、その人が周囲の期待を上回る活躍をすれば、「期待値」が上がり、給与もアップします。その一方で、一度決めた給料が下がらない、というわけでありません。人にもよりますが、多くは「期待値」は年々下がり、5年もすると最低値になります。

中竹: 年々、期待値が下がっていくのは厳しいですね。

中野: もちろん期待値が下がらないように努力を重ね、成長し続ける人もいます。その一方で、自分が期待されてないと分かると、人は自然とほかの道を考えはじめるものです。僕の経験で思うのですが、どんな会社でも一つの会社、一つの仕事は5年、10年を一区切りにした方がいい。同じ仕事をし続けるのが「当たり前」になると、仕事の質がどうしても下がります。僕自身もそうですよ。社長だけは自分で辞め時を決めないといけなかったのですが、2019年に寺田航平社長に引き継ぐことができました。

中竹: 中野さんは、台湾と日本を往来していて、寺田倉庫の社長時代にも週2回しか会社に来ていなかったと聞きます。それでも経営はできるものなのでしょうか。

中野: 繰り返しますが、僕自身はマネジメントをする気もないし、リーダーシップを発揮する気もないんです。週2回、寺田倉庫に来ていたのは、社員のみんなが自分のやりたいことをしているのかを見るためでした。

意識的に、社長である僕に対する期待値を下げてもらおうともしていました。社長に対する依存度が高まるのは良くない。それよりも、僕がいなくてみんなの自由度が高まるほうがいい。僕がいないほうが伸び伸びと働ける。社員のそんな様子を確認するために週2回、オフィスに顔を出していたというのが実情です。だから、台湾を拠点にしていても、社長を務めることができた。

みんなが本当にやりたいことをやっているのか、自分の人生を生きているのかは、見れば大体分かります。それも毎日顔を合わせるより、時々会ったほうが、その瞬間の表情やリアクションで変化を知ることができるわけです。

彼らの変化を見極めながら、社長である僕から社員への期待値を上げていっていました。やりたいことを実践している人を応援したり、頑張ってほしいと思ったりしながら。社員から社長に対する期待値は下げながら、僕から社員に対する期待値は上げていく。そんな関係だったんです。

中竹: 正直もう少しやってみたいという気持ちはありませんでしたか。

中野: いえ。環境に慣れてきた自分が見えてきたので、別のことをやる時期だと思っていました。

若い人の「正しい」が、いまの時代は正しい

中竹: 2020年からはコロナ禍の影響で、人々の活動に大きな制約があった時期だったと思います。中野さん自身に何か変化はありましたか。

中野: 僕にとっては、コロナは決して悪いことばかりじゃありませんでした。確かに、ビジネスは普通にできないし、旅行も行けません。厳しいことが多い。ただ、その代わり、僕は日本で近しい人たちとじっくり話をする機会が増えました。僕にとっては初めてのことで貴重な経験です。特に、僕と同世代、会社で働いていた世代よりも、もっと年下の世代、それこそ孫、ひ孫にあたる10代、20代の人たちと話をしているのが楽しいです。若い子の「当たり前」に思っていることは、僕の「当たり前」とまるっきり違います。それでもじっくり話をしていると「あ、いまの時代、こちらの方が正しいんだな」と分かります。やはり、「正しさ」というのは、その時、その時で変わるもの。今、この瞬間が大事であることを再認識するのです。

(取材・文:瀬川明秀 撮影:柏谷匠 編集:上野智)

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