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連載:第45回 成長企業 社長が考えていること

100年ぶりに復活させた祖業が日本酒醸造の救世主に 維新にもかかわった歴史を無形資産としてフル活用

BizHint 編集部 2022年9月26日(月)掲載
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東京都港区の小規模な酒蔵「東京港醸造」。2011年に株式会社若松が立ち上げ、酒造業界に参入した「新しい酒蔵」ですが、都心にあるわずか22坪の小さな製造設備、東京で栽培された米と東京都水道水を用いた醸造、そして明治維新とも深い関わりがある歴史を活用したブランディングなどにより、近年立ち上げたばかりの酒蔵とは思えない知名度を誇ります。知識も経験もない状態から「絶対に利益が出ない」とまで言われた酒蔵を立ち上げた齊藤俊一さんに新規ビジネスに進んだ理由と、無形資産をフル活用する独自のブランディング戦略について伺いました。

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株式会社 若松 代表取締役 / 東京港醸造株式会社 取締役会長
齊藤 俊一(さいとう しゅんいち)さん

1812年創業の若松屋7代目。1999年、地元商店街連合会の役員に就任。祖業である造り酒屋の復活を志す。2011年、酒造「東京港醸造」開設。2016年に発売開始した純米吟醸酒「江戸開城」は2017年度の東京国税局酒類鑑評会 清酒純米燗酒部門で優秀賞を受賞する。第17回「勇気ある経営大賞」(東京商工会議所)特別賞受賞。


明治維新にもかかわりのある自社の歴史。看板を残すために廃業した祖業に活路を見出した7代目

――貴社の酒造りの起源は西暦1812年までさかのぼるとのことですが、なぜふたたび酒造業を始めようと考えたのでしょうか。

齊藤俊一さん(以下、齊藤): はい。造り酒屋の「若松屋」は1812年に初代の若松屋・林金三郎が信濃の一揆から杜氏を連れて逃れ、江戸で造り酒屋を開いたことに始まり、明治維新以降も続いていたのですが様々な問題から、1911年に酒造業を廃業しています。

その後、何度か業種を変えながらも「若松屋」という屋号は7代目の私の代まで引き継いでいました。戦後からは雑貨店を営んでいました。酒造りを考え始めたのは今からおよそ20年前のことです。若松屋は戦後以降、雑貨店を営んできましたが、当時の私は小売業や物販業に危機意識がありました。

というのも、昔ながらの食料品店や乾物店、酒屋は、コンビニやスーパーに取って代わられてしまい。さらに、インターネットの普及が到来しつつありました。そういった情報を知るにつれ、物販業というかたちで若松屋を存続させること、代をつなげることは無理だ、という結論に至ります。

仮に今ある社屋を賃貸に出すとして、貸し手が見つかるであろう1階はともかく、2階から4階を活用できる業種は何だろう、と考えた中で「酒蔵」というアイデアが出てきたのです。

22坪の土地に建つ4階建の酒蔵、4階からは酒米を蒸す湯気がテラスから立ち昇る

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