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連載:第2回 社史から探る 大企業の転換点

時価総額1.9兆円、営業利益率51%超。オービック「採用は新卒のみ」の歴史的必然

BizHint 編集部 2020年8月25日(火)掲載
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業界を代表する大企業の成長過程における「ターニングポイント」を探る企画。第2回はオービックです。数多あるシステム開発会社のなかで、なぜオービックは時価総額1.9兆円(2020年7月末)、営業利益率51.2%(2020年)、25期連続増益という驚異の成長ができているのか?そこに至る要因の一つに「新卒採用にこだわる人材採用とその育成がある」と語るのは、社史研究家の杉浦泰さん。同社の人材採用が「新卒」に特化し、またそれが他社との差別化を生んでいった歴史的な背景を探ります。

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オービックのターニングポイント。「中途採用の停止」

――「The 社史」を運営する社史研究家の杉浦泰さん(著書:20社のV字回復でわかる「危機の乗り越え方」図鑑)に、大企業のターニングポイントを聞く連載。第2回目はオービックを取り上げます。テーマは「採用」です。

杉浦: 人の採用、特に「新卒採用を核に会社を大きくした最良の例」として、オービックについてお話しします。一般的な認識としては、オービックは「大きな会社」「目立つ会社」といった印象は薄いかと思います。

しかし2020年度の業績を見ると、売上高営業利益率は51.2%という驚異的な数字で、時価総額はなんと1.9兆円(2020年7月末時点)。これはNECの時価総額1.6兆円(2020年7月末)を上回っています。オービックは知られざる超優良企業といえます。

ではなぜ、オービックの業績はずば抜けているのか?なぜ、市場から評価されているのか? その要因を探っていくと「オービックが長年、新卒採用に特化している」ということが見えてきます。

おそらくですが、 インターネットで「オービック 中途」などで検索しても求人は出てこないのではないでしょうか? オービックは基本的に中途採用をしていません。これは長年にわたって一貫していて、おそらく現在も原則・新卒しか採用していないと思います。(オービックの方、もし違っていたらぜひコメントをいただけるとありがたいです)

では、 なぜ新卒にこだわることが驚異の業績につながったのか?逆にいえば、なぜ新卒にこだわる必要があったのか? 今回はその謎について考察していきます。

ところで、オービックの業務内容について、どのようなイメージを持っていますか?

――「業務支援システムを販売する会社」でしょうか?

杉浦: たしかに、大塚商会と同じようなソリューションプロバイダーに見えている方も多いかもしれませんね。仰る通り、オービックは創業当初から70年代前半までは、コンピュータやシステムを仕入れて販売するプロバイダーでした。

しかしその後、「特定業種の業務支援システムを自前で構築したこと」を機にSIer(エスアイヤー/システム開発会社)へと変貌します。そしてそのシステムの中核は、自社開発の「会計システム」です。これが強みとなり、「特定業種」の「中小企業」の業務システムを開発〜販売〜保守〜リピートという現在のビジネルモデルの構築に至り、類例のない高収益につながっていくことになります。

ではあらためて、会社設立の経緯から見ていきましょう。1968年に野田順弘(のだまさひろ)さんが、「大阪ビジネス」という会社を設立したのが実質的なオービックの始まりです。当時の業務内容は「中古会計機の販売事業」でした。

会計機と聞いてもいまいちイメージがわかないかもしれませんね。会計機は基本的には計算機で、会計に関わる書類を出力、印字できる機械でした。シャープが電卓(電子式卓上計算機)を出したのが65年。この時点では世の中にコンピュータはほとんど普及していません。そんな時代に野田さんは会計機に目をつけたのです。

――すると、一人勝ちだったんでしょうね。

杉浦: いえいえ。会計機に着目していたのはオービックだけではありませんでした。 当時、会計機やコンピュータの原型のようなハードウェアを扱う会社は100社以上存在していた そうです。野田さんが独立する前に在籍していた会社も、中古のオフィスマシンやビジネス用の計算機を扱う「東京オフィスマシン」という無名の企業でした。

68年当時、会計機やコンピュータの原型みたいなものを売るのは、実は誰にでもできる商売 でした。(前回お話しした、本田技研のオートバイと状況が似ていますね。)だからこそ野田さんは勤めていた東京オフィスマシンを出て、自ら同業であるオービックを設立したとも言えます。

さて、野田さんはオービックを発展させるために従業員を積極的に採用します。しかし従業員からすれば、同じ商材を扱っている会社は他にもたくさんある。オービックにこだわって働く理由はないわけです。そうすると、不満を持った従業員が他社に流出してしまう可能性は当然出てきます。

実際、 一つの会社に人材が定着しないような業界だった んです。それがオービック創業期の大きな悩みでした。今のweb系エンジニアの転職市場とよく似ており、力のあるビジネスパーソンは積極的に転職のチャンスを伺う。70年代のオービックも当時最新鋭の「コンピュータ」を扱う専門的な業界であり、それゆえに、人材の流動性が非常に高い状況にありました。

そういった状況下の72年~73年、 オービックに一大事件が起こります。中途採用社員の大量退職です。 72年、オービックは同業他社から営業職20名をまとめて中途採用しました。野田さんは 「大量の即戦力人材」で業績を一気に伸ばそうと考えた のです。採用してすぐのタイミングでボーナスを支払いましたが、その後、その中途社員全員が辞めてしまいました。辞めた20名は別の会社を立ち上げ、オービックと同じ商売を始めました。

――そういったことが起こっては、中途採用にネガティブになりますね。

はい。野田さんは、相当ショックを受けたようです。 オービックはこの失敗を経て、同時期に新卒採用をスタートしています。そしてその後、「積極的な新卒採用」を推し進めていきます。この「新卒採用」への方針転換が、後にオービックの強みとなる「ノウハウ蓄積」に繋がっていきます。

会計システムを販売し、リピートさせるために必要なもの

大量退職が起きた当時、オービックは富士通や三菱電機から仕入れたハードの販売がメインの、いわば「よくある会社」の一つでした。いわゆる「商品を右から左に流す」という仲介業がメインであり、誰にでもできる商売でした。

しかし、オービックはこの後「会計システムの自社開発」を始めたことで状況が変わります。ここからは、 オービック成功のもう一つのキーワード「会計システムの自社開発と販売」 に触れていきます。

まず、顧客の会計システムを開発するというのはとても難易度が高いです。というのも、会計は顧客の業務フローに密接に関わる根幹部分だからです。仕訳に関わる処理は専門的な知識が必須なうえに、業界特有の取引慣行も存在しており、 会計に加えて「業界」というドメイン知識に精通していなければならない のです。

単に「コンピュータが好きです」では務まらない世界で、むしろ顧客から要望を聞き出す 「要件定義」に価値が宿る分野 です。

会計を組み込んだ業務システムを開発するためには何より、自社内に顧客の業務を深く理解している社員がいる必要があります。痒い所に手が届く様なシステムを開発するにはプログラミングの能力ではなく、 顧客の要望を聞き出して、期日までに製品を納入する道筋を立てるという、高度なマネジメント能力が要求される からです。

そしてそれを 安定して、継続して使い続けてもらおうとすると、さらに難易度が上がります。 顧客の業務内容が他の社員にシェアされ、正確に引き継がれていなくてはならないからです。担当者が頻繁に変わっていては、顧客業界への理解が深まらず、結果として顧客からの信頼を失うことになりかねません。

ここで、「新卒社員の定着率の高さ」が効いてきます。 現在のオービックの社風は「家族主義」とも言われますが、新卒採用に注力しはじめた70年代以降、社員教育を手厚く行い、育成にしっかりとコストをかけ、社員の働きやすさ、定着に重きを置いてきました。 すぐに社員が辞めてしまう会社では、顧客情報は引き継がれない、社内にノウハウが溜まらないからです。

もちろん、新卒社員は即戦力である中途採用に比べて、転職できるだけのスキルが身についていなかったり、他社との境遇・待遇比較ができないため、隣の芝が青く見える機会が少ないという理由もあったかとは思います。

これらの要素、 「業界特化・自社開発の会計システム」「業界・顧客の業務を熟知した社員」「社員の定着率の高さ」は、特定業界の顧客の『リピート』に大きく寄与 しました。

特に「社員の定着」。ここに注力したのは、オービックがその後独自のポジションを確保するための、キーファクターだったと言えます。

コアとなるターゲットは常に「業界特化」×「中小企業」

杉浦: オービックのコアとなる戦略は、当時から「ニッチな業界特化の会計システム」を武器に「中小企業を集中的に攻める」点にあります。

顧客が大企業の時の交渉では、相見積にかけられたり、ERPなどでは10年単位でベンダーが定期的に見直されることもよくあります。しかし、会計やシステムの専門家がいない中小企業では、相見積や厳しい値下げ交渉は比較的おだやかです。さらには、一度導入されてしまえば、余程のことがない限り、ベンダーの定期的な見直しもありません。

この理由は、 中小企業はヒトというリソースが常に不足しているから です。中小企業の経理担当者がオービックのシステムに一度慣れてしまうと、ほかのソフトに乗り換えることは簡単ではありません。ただでさえ少ない人数でやりくりしている中小企業にとって、システムを刷新して新しい方法に慣れるためには大きな学習コストが必要であり、それだったら既存の使い慣れたシステムを継続利用した方が良いのです。

つまり、 大企業ではなく、中小企業に向けたビジネスだからこそ、オービックは継続した売上・利益が出やすいのです。取引相手先の「キラキラした名前」を実績としてコレクションするのではなく、商売における実利に徹するのが、オービックの凄さの一つ です。

さらには、中核となるシステムが「会計システム」であることもとても重要です。システム導入後、顧客の業務フローは、業界特化したオービックの会計システムに合わせて適正化されていきます。そうなると、顧客は簡単にシステムの入れ替えができなくなるのです。

「業界特化」×「中小企業」のわかりやすい例が、70年代から80年代にかけてオービックの成長を後押しした消費者金融(サラ金)向けシステムの販売 です。当時の消費者金融業界は非常に小さい会社が多く、与信などの計算業務は大変でした。そこに食い込んでいったのがオービックです。当時、相当なシェアを獲得していたと言われています。

もう一つの有名な事例は、自動車教習所。オービックは自動車教習所向けのシステムを業界で初めて開発し、その後いくつもの教習所で採用されていきました。1988年当時の「自動車教習所トータルシステム」では、会計業務はもちろん、入所手続き、配車、予約、入所、技能教習、学科教習、・試験、検定、卒業、統計といった業界特有の業務フローをシステムでカバーしています。

このように、 ニッチな領域でも、トータルでシステムを構築することによって、顧客を囲い込んだ のです。

――業務システムは一般に高額なイメージです。中小企業が簡単に買えるとも思えないのですが。

杉浦: 実はオービックの切り札として、リース方式の存在がありました。

先ほど紹介した自動車教習所トータルシステムの場合、1988年当時の新聞記事を読むと、オービックは「月額45万6000円」のリース料金で提供していました。顧客に月賦払いをしてもらうことで、導入コストを下げていたのです。(出所:1988/5/9日本経済新聞朝刊15ページ)

オービックの歴史を紐解くと、会社設立直後にリース会社のオリックスと組んでいることがわかります。当時のオリックスは設立したばかり。今でいうベンチャー企業でした。オービックの顧客である中小企業は、近代的な会計システムを喉から手が出るほど欲しかったわけですが、仰る通り、高くて買えない。

そこで オリックスを間に挟み、リースという形で高額な会計機が利用できる仕組みを作り上げたのです。この「リース」がオービックのシェア拡大を加速させました。 70年代、まだ中小企業で無名だったリクルートにオフィスコンピュータを納入したのもオービックでした。 オービックは時代ごとに「中小企業」をがっちりつかんでいく のです。

創業当初から、オービックは大企業向けのビジネスは行いませんでした。しかしそれが奏功しました。当時、銀行などの大企業にコンピュータを納入していたのは、主に日本IBMなどの外資系かNECや富士通、三菱電機でしたが、彼らと正面から戦っても勝ち目はなかったでしょう。現在も大企業向けのSIerはありますが、厳しいコンペにさらされるため利益率は総じて低い。売上高で見れば、オービックの800億円はNECの3兆円には全く及びませんが、利益率では遥かにその上を行っています。

「不真面目であるほどいい」。顧客を向いた採用方針

――ところで、オービックがこだわる新卒採用。どのような基準を設けているのでしょうか?

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