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連載:第6回 老舗を 継ぐということ

【図解】20年で売上5倍。「まだ185年」と語る千疋屋6代目が10年ごとに見直す改革の中身

BizHint 編集部 2019年10月26日(土)掲載
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高級フルーツやデザートの老舗といえば、千疋屋総本店。1834年の創業以来185年にわたって「のれん」を育て、引き継いできました。中でも近年の飛躍は目覚ましく、6代目社長・大島博氏が手掛ける改革により売上は20年で5倍に拡大しています。しかし、その改革の裏には長く続く伝統や慣習との衝突、我慢、結果による証明の繰り返しがありました。「まだ185年」「それでも首都圏以外には出店しない、できない」と語る同氏に老舗の承継・改革の経緯について聞きました。

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【プロフィール】
株式会社千疋屋総本店
代表取締役社長 大島 博 さん

慶應義塾大学法学部政治学科卒業。ニューヨーク大学、ロンドン大学に留学して「ブランディング」を学び、帰国後に輸入代行業を手掛ける会社を経て1985年に千疋屋総本店へ入社。1998年(株)千疋屋総本店代表取締役社長就任。

社長就任20年で売上5倍。まず取り組んだのは、ブランドの再定義

――6代目社長に就任後、まず何をされたのでしょうか?

大島博さん(以下、大島): 社長就任は1998年でした。Windows 98が発売され、インターネットを使い始める人がようやく出始めたころです。2~3年は先代社長である父のやり方を踏襲していましたが、2000年に「ちょっとやってみようかな」くらいの気持ちでインターネット販売に着手したのが、新しい取り組みの第一歩だったように思います。

ただ、千疋屋のブランドについては私自身が違和感を覚えていました。千疋屋への入社前に海外留学をしたり、輸入代行の仕事を経験したりしながら、 外からの目で千疋屋を見たときに「時代とズレているのでは?」「自分の感覚と違う」 と。というのも、当時の千疋屋はまだまだバブルの頃の体制や考え方、サービスを引きずっていて、多くの方から「あまりにも敷居が高い」というイメージがありました。要は お客様から「届かない、身近ではない存在」になっていた のです。

そこで、2002年にブランド・リヴァイタル・プロジェクトを立ち上げました。

そのプロジェクトの中で、現在にも通じる『ひとつ上の豊かさ』というブランドコンセプトを設定しました。千疋屋は手を伸ばせば届く距離にある、そして千疋屋を通じてお客様に豊かな気持ちになっていただきたいという思いを込めました。

そしてそれを形にしていく作業として、まず ロゴや包装紙など目に見える部分を大幅に刷新 しました。「変わった、変わる」ということを内外に伝えるためです。

そもそもこのブランド改革の出発点は「時代とズレている」と「私が感じている」ところから始まっています。時代は常に変わり続けますし、それに合わせて千疋屋も変わり続けなければなりません。したがって 「10年ごとにブランドデザインも見直す」ことも決めました。

2014年の創業180周年では第二次ブランドビジョンを新設し、あらためて商品画像やロゴの色使いを統一・徹底し、再度パッケージの見直し、イベントの磨き上げなどを行いました。基準はやはり 「私の感覚とあっているかどうか」 。もちろん、 私自身が時代のニーズを正しく感じ、把握しなくてはならない ことは言うまでもありません。

ブランドを見える形に落とし込み、社長自ら社員一人ひとりに伝える

全社員に配布されるブランドブックと社歴の冊子

――ブランドを体現していくためには、社員への浸透が必要になります。

大島: そうですね。なぜ千疋屋は高級フルーツを提供しているのか?そのために先人や、我々がどんな努力を積み重ねているのか?それがなぜ、「一つ上の豊かさ」というブランドコンセプトにつながるのか?まずはこういったことを幹部、そして社員一人ひとりに理解してもらわなくてはなりません。

そこで 『社史の冊子』と『ブランドブック』を作り、全社員に配布 するようにしました。以降、それらを使い、新入社員研修をはじめ様々なタイミングで 直接私が説明 するようにしています。「これが千疋屋のバイブルだよ」と。

社員研修は頻繁に行い、外部から講師を招くこともありますが、こと ブランドに関しては私が自ら講師として登壇 します。 社員へのブランド浸透で何より大事なのは「私の感覚と合う」こと です。 時代の変化に合わせ、千疋屋はブランドを再定義すると決めています。それを行うのが私の役目ですし、それを社員に正確に伝えるのもまた、私の役目 です。

――研修の内容はどのようなものでしょうか?

大島: ユニークなものであれば江戸時代の歴史や文化でしょうか。お客様に質問されることもあるのですが、千疋屋の社史を紐解くと江戸時代から続く日本人と果物の関わりにまで話が及びます。今でいうデザートとして果物そのものを食べていたのは、実は世界でも日本くらいです。だからこそ日本人は品種改良を重ね「本当においしい果物」を追求してきました。

今、我々が提供している果物には、そういった背景があることを知り、お客様に伝えられることは、「本当においしい果物」を理解する上でとても重要な要素 だと考えています。

――「本当においしい果物」。どのような形で追求されているのでしょうか?

大島: 例えば現在、仕入れを行うのは東京・大田市場のみです。それ以前は神田市場、さらにさかのぼると日本橋市場。つまり その時代時代で、日本で一番おいしい果物が集まる場所で仕入れを行っています。 逆に言えば一番良い値段が付くので、生産者が一番出したい場所とも言えます。

契約農家とお付き合いをしたこともあったのですが、気候変動や自然災害などを乗り越え毎年同じ品質のものを安定して確保するにはリスクが高すぎました。「本当においしい果物」をご提供するというミッションを鑑みると「その年、その季節に、一番おいしい果物が集まる場所」で、 『その中でも一番おいしい果物』を見定め、お届けすることが我々の役割 だと考えています。

――「おいしい果物の見定め」はどうされているのでしょうか?

大島: いわゆる「仕入れ担当」が判断します。もう30年以上の経験がありますが、果物の味がわかるようになるには最低でも10年以上の経験は必要なのではないでしょうか。お客様の多く、いやほとんどは、市場で高値がついた果物を食べられると「おいしい!」となると思いますが、 仕入れ担当者は過去の果物との比較でも味を評価 します。それを踏まえて「店頭に並べる、並べない」を決めます。

例えば今年(2019年)、桃の出始めの頃は、最高級品であっても「冷夏で日があたっておらず、例年に比べ味が乗っていない」という判断で店頭に並べませんでした。営業部門としては売上を鑑みて「とはいえ、美味しいので並べたい」となりますが、 千疋屋としてそれはやりません。

千疋屋ではその品質について「千疋屋スタンダード」というランクを設定していて、それを満たさないものはお客様に提供していません。「お気に召さないものがあれば、お取り替えします」という保証書まで入れています。

――そういった背景、こだわりを社員一人ひとりが認識しているということですね。

大島: 背景の理解ももちろん重要ですが、社員には実際にそれらの果物を食べてもらい 「おいしい果物」とは何か、体感 してもらっています。千疋屋の店頭で、店員が果物を見定めてお客様にお渡しすることがあると思いますが、これはとても重要な意味があります。

当社では、 すべてのキャリアは必ずお客様に接する部門から始まる のです。30年のキャリアがある仕入れ担当も最初はそうでした。お客様がどのような果物を求めているのか、それを理解するために「お客様と接する」ところから千疋屋でのキャリアはスタートします。

社員がお客様から褒められる。それが、ブランドが浸透した瞬間

――やはりお客様と接することは重要なのですね。

大島: そうですね。特に、私が最も重視している 「社員へのブランドの浸透」は接客にこそ現れる と考えています。当社の場合は、 商品が褒められるのはある意味当然 です。だからこそ、 接客やお客様対応などへお褒めの言葉をいただいた時に、ブランドが浸透していると感じられます。

社員がお客様から「さすが千疋屋さんだね」と仰っていただける瞬間。これが一番嬉しいです。 何を評価いただけるかは、その時代や状況で変わります。それに応え続けるために、ブランドを見直し続け、繰り返し社員に説明を続けるのです。

――お客様と接する、という部分で独自の取り組みはありますか?

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