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連載:第20回 プロ・リクルーター、河合聡一郎さんが聞く【事業承継のカギ】

全財産を投じながらIMJを再建した経営者がたどり着いた境地【くじらキャピタル・竹内真二社長】

BizHint 編集部 2019年9月9日(月)掲載
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中小企業の成長支援ファンド、くじらキャピタル株式会社を2018年に設立した竹内真二代表取締役社長。外資系投資銀行を経て、赤字に陥っていた国内最大規模のデジタルマーケティング企業、株式会社アイ・エム・ジェイ(以下、IMJ)をバイアウト。初年度より黒字化し、数年後には創業初期以来の成長を遂げ、V字回復の再建を果たしました。時代の変化に負けず永続できる組織とは。そして、金融業界や会社経営を経て、ファンド設立に込めた思いとは──。

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くじらキャピタル株式会社

代表取締役社長 竹内真二さん

1976年横浜⽣まれ。幼少期の⼤半を海外で過ごす。⽶国の⼤学卒業後、リーマン・ブラザーズ、モルガン・スタンレーなどを経て、2012年に実質1号となるファンドを設立。当時JASDAQ上場企業であった株式会社アイ・エム・ジェイ(IMJ)を非上場化し、4期連続最終赤字に陥っていた同社の再建に成功。2016年、アクセンチュアにIMJ持分を売却。2018年4月、くじらキャピタルを創業、代表取締役に就任。


全財産を投じてIMJの再建を

河合聡一郎さん(以下、河合): まずは竹内さんのこれまでのキャリアを教えて頂けますでしょうか?

竹内真二さん(以下、竹内): アメリカの大学卒業後、M&Aに興味があったのでリーマン・ブラザーズに就職しました。そこから1年でモルガン・スタンレーに移籍して、NY本社に在籍していた時に2001年のアメリカ同時多発テロに遭遇しました。そこで自分の人生というか、モチベーションについて深く考えるようになって。そこで、2003年に会社を辞めてビズリーチの南壮一郎社長と一緒に創業しました。初めての起業ですね。

河合: 外資系金融業界を経て、どのような分野での起業を?

竹内: 一年半くらいでしたが、南さんが結構攻める派で(笑)。幼児向けの英語教室を立ち上げたり、K-1のサポートをしたりとか、いろいろとやってましたね。

その後、南社長は楽天野球団へ、私はCCCの増田さんの誘いを受けペット事業を立ち上げました。けれどそれが大失敗で……。今も都内に店はありますが、残念ながら追われるような形で会社を去ることに。自己資金もかなり持ち出していたので、全財産を失うどころか巨額の借金まで背負いました。2008年の春でしたね。やむなく前職のリーマン・ブラザーズに戻ったものの、その後ご存知のように破綻してリーマン・ショックを引き起こし、世界中にご迷惑をおかけしました。リーマンを買収してくれた野村證券にそのまま転籍し、その後M&A助言会社の立ち上げを経て、2012年に増田さんの力をお借りして、IMJをMBOしました。

河合: 2012年頃といえば、事業会社やコンサルティング業界など含めて、幅広く「デジタルマーケティング」に注目が集まっていた時期です。これまで金融、マーケティングとさまざまな分野の組織に携わってこられた竹内さんが感じた、組織の共通点や、一方で異なる点はどんなところでしょうか?

竹内: 印象的だったのは、 IMJの前任の社長ですら、「この業種は構造不況業種で、どうやっても良くならない!」と匙を投げた状態だったこと。4期連続最終赤字でうち1期は営業赤字。上場廃止基準に抵触する可能性すら出ていました。 当時IMJはCCCのグループ会社でしたので、増田さんが注目し声をかけてくれました。業績は最悪でしたが、自分ならと思い、その数年前に借金返済がひと段落し、ようやく人並みの生活ができるようになったばかりだったのですが(笑)。全財産をつぎ込みました。

4期連続赤字のIMJ再建のために行ったこと

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