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連載:第8回 組織作り その要諦

数字必達主義から「対話型の組織」へ、福島トヨペットの社内変革【福島トヨペット・佐藤修朗社長/佐藤藍子副社長】

BizHint 編集部 2019年7月5日(金)掲載
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トヨタ生産方式で知られるトヨタの生産性向上の仕組み。トヨタ自動車の販売店も高い目標設定と効率化を求められており、人事評価制度もそれに紐づく成果主義になっていました。そんななか、「人と人との関係性が原点」と見直し、改めて社内カルチャーを変革。自然にメンバーの目標が「地元、福島県への貢献」になってきたのが福島トヨペットです。「成果主義は90年代以降、誤解されて導入されてきた。どう社会と自分が向き合っていくかに会社の評価も舵を切っていくべき」と話す社長の佐藤修朗さんと、実際に組織改革担当として改革に携わった副社長の佐藤藍子さんに話を伺いました。

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自動車を求める人のニーズも変わり、組織も変わる

——福島トヨペットさんが社内変革を行ったきっかけについて、お伺いできますか?

佐藤修朗社長(以下、修朗社長): 創業からの歴史と変遷を少しお話しましょう。福島トヨペットは今からおよそ60年前の1956年に創業しました。自動車の販売は戦後の復興期から、高度経済成長とモータリゼーションの拡大に合わせて順調に右肩上がりで伸びていきましたが、時代ごとにフェーズがあります。1960年代は個人商店が配達に使うためのトラックが中心。それから、徐々に個人もマイカーを所有する時代になり、地方では1人1台が当たり前になっていきます。ただ、80年代までは訪問販売がメインでした。マイカー所有の黎明期はお医者さんなどの自宅まで直接伺って販売し、徐々に顧客の裾野を広げていったのです。

私が福島トヨペットに入社したのは1979年です。 当時の営業は「1日に100件訪問、とにかく歩け」と言われていました。実際、そのとおりに行動すればお客さんが見つかり自動車は売れた。 今でこそ販売店はサービス業ですから考えられませんが、日曜日は普通にお休みでした。

販売店に直接お客さんが来てくれるようになったのは1980年代半ば以降のこと。高度経済成長、モータリゼーションの波に乗り、トヨタの系列販売店も1950年代から1960年代にかけてトヨペット店、トヨタカローラ店、トヨタオート店と増えていきました。スタッフ同士「年間販売目標台数」という数字を追いかけて年に9000台以上販売したこともありました。

90年代後半から「成果主義」という言葉が流行り、弊社もそれに合わせて評価制度を導入しました。ただ、「頑張った人に報いる。そうでない人には報いない」と誤解されて広まったのはよくなかったと思います。

佐藤藍子さん(以下、藍子副社長): 実際、 成果主義のもとに導入されていた評価制度はあまり評判が良くなかった ですね。トヨタ自動車から年間の販売目標台数が降りてきて、それを福島トヨペットの各店舗に割り振り、そこからさらに各個人の目標販売台数が割り出される。ただ、人口減少社会のなかでその数字を達成し続けるのは簡単なことではありません。それに、 各個人が販売目標をクリアさえしていれば良いという意識がありました。 目に見える数字という成果でしか評価がなされていないので、メンバーのモチベーションが上がらないのも当然だったと思います。

修朗社長: 私は常々、会社がよい状態であるためには、CS(顧客満足度)ES(従業員満足度)が高いことが重要だと思っています。ただ、2000年代の自社のES調査はどうも低く出ていてなかなか上がらない。現在の福島トヨペットは福島県内に22店舗展開し、社員数は約600人です。ずっと横のつながりも希薄でした。そんな社内を見回して、改めて会社をよくしたいとずっと考えていました。

人と人の関係性を見直したら自然と「福島への貢献」が見えてきた

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