指示待ち組織をつくったのは自分。主体性あふれる組織に蘇らせたリーダーが貫いた「二つの行動」
「社員は私の下請けだと、本気で思っていました。」トップ保険サービス株式会社 代表取締役 野嶋康敬さんは、かつての自分をそう振り返ります。莫大な負債を抱えた家業を立て直すため、ひたすら営業に奔走する日々。しかし、あるとき社員から発せられた「仕事が全然楽しくない」という一言に衝撃を受けます。そこから、社員一人ひとりが自ら考え主体的に動く「自立型組織」への転換が始まります。改革のたびに反発を受け、人が去っていく苦しい時期を乗り越えながら、野嶋さんが愚直に続けてきた二つのことがあります。その結果、現在は社長がいなくても自走する組織に変化。さらには、従業員満足度調査(無記名)で100%の社員が「今、幸せである」と回答するまでになりました。野嶋さんが24年間、徹底してきたこととは。詳しく伺います。
「仕事が、全然楽しくない」の一言で目が覚めた。社員の主体性を引き出すために徹底した、二つのこと
――貴社は、社員一人ひとりが自ら考え主体的に動く「自立型組織」を実現されたそうですね。
野嶋 康敬さん(以下、野嶋): はい。 今は組織が完全に自走していて、あらゆることを社員が自ら考えて決めています。 だから、社長はいないのと同じですよ(笑)。以前と比較すると、本当に正反対の組織ですね。
――以前は、どのような組織だったのでしょうか?
野嶋: まず、私が実質的にこの会社を引き継いだのは、1994年のこと。当時は7億5,000万円という莫大な負債を抱えており、その返済を最優先課題としていました。そのためにできることは、自分が稼ぐこと。毎日ひたすら新規営業に奔走し、大手保険会社の代理店表彰で3度にわたり日本一を獲得したこともあります。
当時の私には、経営に対して確固たる持論がありました。医療クリニックや弁護士事務所のように、代表であるプロフェッショナルが一人で稼ぎ、スタッフがそれをサポートするスタイルこそ優れたビジネスの姿だと信じていたのです。ですから 私が最前線で稼ぎ、社員はその「下請け」のように動いていました。
言わずもがな、マネジメントスタイルは完全なトップダウン型。当時の私は、社員が少しでも意見を口にしようものなら即座に言い返してしまうため、 誰も異論を唱えられない雰囲気が漂っていました。 とはいえ、離職率は高くありませんでした。当時の社員はベテランが占めており、「今さら他では働けない」という、半ば諦めの気持ちがあったから。それにより 「担当業務をミスなくこなせばいい」という意識で、指示を待ち、それを淡々とこなす日々が続いていました。
変化のきっかけは2002年頃。経営者勉強会の講演で、衝撃を受けました。あるゴルフクラブ経営者のお話を聞いたのですが、そこでは社員の主体性を重視したマネジメントが実施されており、一人ひとりが自ら考えて動くことのできる組織になっていました。お客様がクラブハウスで食事をするとき、店員さんに「二日酔いなので、蕎麦にします」と伝えると、蕎麦と一緒に胃薬が添えられていたそうです。
お客様は何を求めているのか、自分は何をすべきなのかを、社員一人ひとりが自ら判断して行動している。 私はこのエピソードを聞いて、強く心を揺さぶられました。そこで、社員にもその素晴らしさを伝え、そういった行動ができるようになってもらいたいと、主体性の高い社員が活躍する企業の紹介ビデオを見てもらいました。
視聴後に感想を聞いたところ「(働いている方が)すごく楽しそうでした!」という言葉が。続けて 「では、うちの仕事はどうだろう?」と聞いたところ、少し間を置いて「ぜんぜん(楽しくない)……。」という答えが返ってきたのです。
これはショックでしたね……。そもそも仕事が楽しくないのに、主体的な行動が生まれるはずがありません。そして、 そのような状況を作り出してきたのは、ほかでもない私自身。 それまでは指示通りに動くことを社員に求めてきたのに、今度は主体的に動くことを都合よく期待している。自らの言動を深く反省した瞬間でした。
これをきっかけに、私は この24年、大きく二つのことを徹底してきました。 その結果、当社は少しずつ「組織」として成長。時間をかけて、社員一人ひとりの主体性が育ってきました。仕事の楽しさも実感できるようになってきたようです。2025年には、社内で実施した 社員満足度調査(無記名)において「あなたの人生は幸せですか?」という問いに対し、100%の社員が「今、幸せである」と回答しました。
社員が楽しく、主体的に働ける環境をつくること。 それは突き詰めると、社員一人ひとりが「幸せだ」と感じられる会社をつくることだと、私は考えています。その意味で、この数字は私にとって何より嬉しい結果でした。理想としてきた組織が、実現に近づいていると感じています。
――野嶋さんが24年間徹底されてきたこと。それは何だったのでしょうか?